コミュニティと関わる

郡山 智也さん

大都市の大学病院から地方の病院へ。国保病院・郡山先生が見つけた、住民に寄り添ったゆったりとした関わり方。

国保病院の郡山先生は、ほんべつ(本別)町に来る前は名古屋の大学病院で、患者さんとの関わりが少ないとジレンマを抱えながらも、自分はプロフェッショナルなのだというプライドを持って働いていました。しかし次第に「必要とされる場所でチャレンジしたい」と思うようになり、そんな時にほんべつ町と出会います。現在は、大学病院では見えなかった、住民と長く付き合っていくことやどうしたら地域の医療を守れるかを考えています。

郡山 智也(こおりやま ともや)

1964年生まれ。長野県出身。1988年愛知医科大学医学部卒業。土岐市立総合病院医員、愛知医科大学耳鼻咽喉科助手、名古屋記念病院耳鼻咽喉科部長、名古屋大学医学部医学科臨床講師を歴任し、10数年前にほんべつへ移住。現在は本別町国民健康保険病院の副院長として働いている。

 

プライドが砕かれたからみえた、自分の本音

 

-先生はどのようにしてほんべつ町に来られたのですか?

 

郡山さん(以下、郡山): 20数年前、名古屋の大きな病院で、頭頸部外科・耳鼻科で働いていたのですが、当時は自分のことを「プロフェッショナルで病院にとっても患者さんにとっても欠くことはできない存在」だと自惚れていました。

ある時、親族の病気の都合で1週間仕事を休んだことがあったのですが、「さぞ患者さんが困ってるだろうな」と思って病院に戻ると、自分がいなかったことが何事もなかったかのように日々の診療が行われていて。

自分のことをプロフェッショナルでかけがえのない存在だと評価していたのに、それが見事にうちのめされるような経験をして、次第に「自分が必要とされる場所でチャレンジしたい」と思うようになりました。

 

自身のキャリアについて語る郡山先生

 

-自分は専門家としてなくてはならない存在だと思っていたのに、自分の中での価値観が変わった、という体験があったのですね。

 

郡山: きかっけにはなりましたね。その後、どの地域で医師が必要とされているかをリサーチしたところ、北陸や三陸側、北海道全体、根室、日高、道北、十勝地方で特に耳鼻科の医師が少ないことを知りました。僕は各自治体に募集されるのを待たずに「耳鼻科医師は必要ありませんか?」と自分を売り込みました。

すると、ほんべつ(本別)町の当時の病院長と町長から、ぜひわが町に来て欲しいと強いラブコールをもらいました。ほんべつ町では僕がリサーチ活動をした前の年に、「国保病院に必要な診療科は何か」と住民からアンケートをとっていて、皮膚科と耳鼻科という声が多く寄せられていたそうです。それもあってお互いに両想いという状態でした。

愛知医大の教授とは、けんか別れをしないように1年かけて説得し、最終的には町長が教授のところにも挨拶に行き、晴れてほんべつに来ることになりました。

 

-町が事前にリサーチしていたこともあると思いますが、町長の存在は大きかったですか?

 

郡山: そうですね。大学の医局では、所属している部署から出て辞めるとなると、関係が悪くなって退職する人もいるのですが、教授とはけんか別れをすることもなく、お互いが納得して送り出してもらいました。

僕の場合は純粋に住民や町が医者を求めていたのと、自分の想いが合致したので、それを教授に伝えて理解していただいたことが大きかったです。

 

-奥様は全然抵抗はなかったのですか?

 

郡山: 妻は島根出身ですが、島根でも冬には雪が降るので、受け入れやすかったんだと思います。ここは北海道の中でも気温はすごく下がるけど、雪が少ないので運転もしやすいですし。

移住する前に足を運んだのは2回で、一度は仕事の詳細を決めるために、もう1回は、寒さが一番厳しい1月末に妻を連れて来て、住めるかどうかを確認してもらいました。

 

真冬の本別町国保病院

 

名古屋からほんべつ町へ。地方での暮らし

 

-寒さについて、移住前と後とでは印象は違いますか?

 

郡山: 寒さについては、家の中が暖かいし、外出時はしっかり暖かい格好をして防寒しているので気になりません。

寒さといえば、住宅の横に巨大な石油タンクがあるのですが、来た当時はこれを全部使ってもいいのかと驚きました。当時はエコロジーがブームだったこともあって、この石油を使うことに罪悪感も感じました(笑)。

 

-地方暮らしで論点になる、買い物の面ではいかがですか。

 

郡山: 食品に関しては、近くのスーパーや農協の直営店で揃うのですが、着るものや、雑貨類はほんべつ町内では揃わないこともあるので、妻は月に3回ほど往復2時間かけて帯広まで行っています。運転と言っても、都会で絶えず歩行者や自転車に気をつけながら1時間運転するのと、こっちで信号がないところで運転するのではストレスがまったく違いますけど。ここで生活するには、車の運転が必須かもしれませんね。

 

僕も月に2・3回帯広空港から車でほんべつに来るんですけど、1時間運転しても全然眠くもなりませんし気持ちいいですよね。

 

郡山: 住めば都というのもありますが、40代を越えてくると物欲がなくなってくるので、ここでも十分満足な生活をしていると思っています。もともと長野県の田舎に住んでいたので、農村地に住むこともあまり気になりません。

 

-先生は大学から名古屋ですか?

 

郡山: 出身は名古屋ですが、小学校2年の時に父が亡くなって、3年生から中学2年生までは、長野の母親の実家で生活していました。畑作や稲作も手伝っていたので、農村地の生活には慣れていました。

 

-この町の人や地域とのつながりはいかがですか?

 

郡山: 農村部の方々は人見知りはしますが、新しいものには寛容です。はじめが肝心なので、こちらからアプローチをして関係を作るように意識しています。都会では仕事や利害関係があるほうが付き合いやすく、逆にプライベートは付き合いにくいこともあるけど、ここでは一度関係ができてしまえば付き合いづらさを感じることはありません。

 

ほんべつで開催した地域医療イベントで講義する様子

 

-都市部に住んでいると、たしかに学校や保育園のパパ友には仕事の話はしにくいですね。お互い顔やどこに住んでるかは知っているけど、何をしているかまでは知りません。

 

郡山: 自分は医者です、って言いにくいんですよね。医者を前面に出すと垣根が高くなるのですが、ここでは素性をはっきりさせて“病院の郡山です“と言った方が受け入れてもらいやすいです。それに、田舎の方がネットワークがしっかりしていて犯罪に巻き込まれることもまずありえないので、自分のことは早く理解いただいた方がいいですよね。

 

-ほんべつのどんなところが好きですか?

 

郡山: ほんべつに限らずですが、自然が豊富ですよね。病院や家の周りがキツネの生活道路になっていたり、普通にツルとか鹿が見れるとか。日常と自然が交わっているところが一番ですね。

医師目線で住民のみなさんを見ると、“良い患者さん”ですね。名古屋で診療してるときは、医療不信を持った人も外来に来て、コミュニケーションがとりづらくてストレスを感じたこともありました。ここではあげ足を取る人も全くいないので、診療自体のストレスが少ないです。

あとは、子どもたちがとても大きな声であいさつしてくれますから、こちらも負けじと大きな声であいさつを返します(笑)。

 

-名古屋の時と今では仕事の忙しさに変化はありましたか?

 

郡山: 気分的にゆったりしています。名古屋では病院が早く退院させる方向だったので患者さんとの接点も持ちづらかったのですが、ここでは入院期間が比較的長い方が多く、患者さんやご家族とお会いして話す機会があります。そこが大きく違いますね。

 

 

患者さんに寄り添った診療を心がけている

 

北海道の地域医療の未来を見据えて

 

-医療者が少ない北海道へ飛び込むと疲弊するイメージをもつ人も多いと思いますが、病院の仲間やスタッフとの関係はどうですか?

 

郡山: 確かにたくさんの医師はいないので、拘束時間が長いなど一人にかかる負担もあります。けれども、日々の診療のストレスは非常に少ないと思います。当直も週1回よりは少ないです。

スタッフのみなさんの印象は、はじめて来た時はすごくおっとりされているなと感じました。以前働いていた大きな病院は、失敗すると個人がクローズアップされるんですけど、ここではミスに対しても寛容で。自分が今までいかに寛容ではなかったのかとギャップを感じました(苦笑)。

そのギャップを認識できると、お互いあたたかくいられますよね。みなさんとどいう形で思いを共有して医療を進めるのか、深いところでお付き合いできていると思います。

 

-先生からみてほんべつの医療の状況はどんな印象ですか?

 

郡山: この半年で北海道の他の地域を見る機会が増えたのですが、そこと比べると町の病院は人口のわりにはよくやっていると思います。もっと困っている所は多いですから。ただ、今提供出来ている医療が当たり前になると、そこから引き下がるときに医療者も町の皆さんもかなり抵抗がでると思います。

今の医療の水準や規模を維持しようと思うと、資金経済的な事を今後どうするのか。

住まれているみなさんにうまく寄り添いながら、町とも協力して、ここに末永く住むことが出来るように環境を整えたいです。

ほかを知らないと自分たちが一番困っていると思うんですけど、一歩、二歩下がってほんべつの町や北海道全体をみると、もっと困ってる人たちがたくさんいて、難儀してるところもあって。そいうところを見ると、あと1%2%頑張れるかなと。

 

-先生のようなスタンスの医療者の声を聞けてとても勇気をもらえる医療者も沢山いるのではないかと思います。今日は、ありがとうございました。

 

本別町国保病院にて

 

インタビュアー
地域包括ケア研究所 藤井 雅巳

抽象的に捉えられがちな「地域包括ケアシステム」を、実践を通して具現化するシンクタンク「地域包括ケア研究所」の代表理事。2017年より本別町に頻繁に足を運び、町の魅力として、「人」にフォーカスするWebメディア「HOTほんべつ」を企画。

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