コミュニティと関わる

飯山明美さん

一人では何もできないからこそ、つながって支え合う。「福祉でまちづくり」を支えた、総合ケアセンター・飯山明美さんの仕事観

ほんべつ(本別)町は今でこそ「福祉」を真ん中に置いた町として有名ですが、飯山明美さんが役場に就職した頃は、学校の先生からは「あんな保健師活動に無関心な町に卒業生を出したくない」と言われていたほどでした。

介護保険制度が施行された当時、ほんべつには福祉の仕組みがありませんでした。先進地域で働く友人を横目に、仕組みがないなら作ろうと、ゼロから作り続けてきた飯山さんの軌跡を追いました。

飯山 明美(いいやま あけみ)

本別生まれ、本別育ち。帯広で看護専門学校卒後、地元に戻り、国保病院の看護師としてキャリアをスタート。その後、保健師として活躍するも、2000年の介護保険制度の創設準備から高齢者福祉部門に異動。以後、福祉でまちづくりに取り組んできたほんべつ町とともにキャリアを過ごす。本別町総合ケアセンター・センター長。保健師・看護師。   

福祉の町で実現した、町の人がほぼつながるネットワーク

 

-「福祉でまちづくり」の要とも言える、総合ケアセンターについてと、そこでの飯山さんの役割を教えてください。

飯山さん(以下、飯山): 役場職員で、総合ケアセンターのセンター長をしています。実務というよりは報告を受ける立場で、それぞれの状況確認やうまくいかない時に対応しています。

一見するとみんな同じところで仕事してるように見えるんですけど、中で二つに分かれていて、地域包括と総合ケアで高齢・障害・介護を、健康管理センターで町民の保健を担っています。医療のことは病院ですが、町の医療計画には行政も絡みます。十勝の医療圏の会議には、健康管理センターの事務長として参加しています。

「福祉でまちづくり」の要・総合ケアセンター

 

-先日在宅福祉ネットワーク*1 に参加させて頂いたのですが、予算繰りもですが運営もかなりのエネルギーがかかりますよね。自治会のボランティア活動から発展して、今の在宅福祉ネットワークの活動に変遷していったのですよね?

*1:在宅福祉ネットワークとは、見守り活動、生活支援活動ならびに地域サロン活動などの5つの互助活動を担う現在町内の人口の約8割をカバーする互助ネットワーク活動

 

飯山: もう25年以上(在宅福祉ネットワークを)運営していますが、立ち上げ当初は、中心になった人のパワーや求心力があったからこそだと思います。この活動が継続・発展するように、自治会活動とうまく絡めているのと、社会福祉協議会や町の福祉部とも連携して、大事な活動だという意識を高めていきました。行政にとっても大切な事業として位置づけられていて、両方にとって良いようにマッチしました。自治会長さんたちも自分ごととして関わってくれています。

 

-コミュニティの最小単位って自治会活動だと思うのですが、その自治会が強いということなのでしょうか?。

飯山: そうですね。勉強会を開いてみんなで話し合った時も、基礎単位はやっぱり町内会ではないか、という意見が多かったです。

 

「いつかは雑誌に載るような仕事がしたい」と、歩み続けたここまでの道のり。

 

-飯山さんはご両親もほんべつ生まれですか?最初から保健師になろうと思っていたのでしょうか?

飯山: 父親はほんべつ生まれで、母親は本州からきています。曽祖父は徳島からで、わたしで4代目です。中学まではほんべつで、高校は池田高校です。高校生の時に、父親から「将来、保健師はどうだ」と言われたことがきかっけで、帯広の看護学校に入りました。当時保健師がどんな仕事なのかを知らなかったのですが、地区ごとに駐在していた保健師さんが地域の健康相談をしているのを見て、とても楽しそうだなと思っていました。

看護学生になって病院実習に行った時、私は性格的に臨床は向かないと気づいて。そのあと保健師過程に進んで初めて、こんな役割の仕事なのねとイメージすることが出来ました。ほんべつ町に戻る時に保健師の枠がなかったので、1年間看護師として病院で働いた後に町の保健師になりました。

 

-実際に保健師になってみて気づいた事などを教えてください。

飯山: 当時、学校の先生方からは、「保健師活動に理解のないほんべつ町にうちの卒業生は出したくないわ!」とまで言われていて、笑。そいういう話を聞いて就職したので、新人の頃は見ること、やることが学校で習った事よりレベルが低いじゃん、全然仕事の原理原則に基づいて仕事してないじゃん、って全部批判的に見えていました。

 

-今のほんべつを知っているので、とても想像がつかないですね。

飯山: 当時先進的な地域で保健師活動をしている友達の話を聞いて、「それに比べてうちは、、、」と取り残されたような気持ちになったことを覚えています。私はこのままここにいてもいいのなかと迷いながら過ごしていました。

ただ、3年ぐらい勤めると、どこの町に行っても良い事も悪い事も絶対にあると思うようになりました。友達は、先進的な場所には行ったけど、自分の感じた事ややりたい事を取り上げてもらえるわけでもなく、決められたことに沿ってやっているように見えました。

 

-結構、さらっと言っていますけど、他の地域の状況も踏まえて冷静に自分のおかれた状況を俯瞰できる視点って素晴らしいですよね。

飯山: 新人の頃から、いつか保健師としての活動が専門雑誌に取り上げられる、きちんとしたお仕事をしたいと思っていました。ほんべつはないところから作っていく大変さもあるけど、面白さもあるかなと感じるようになって、地域に密着した活動を長く続けて成果を出そうと決めて、ここに残ることにしました。

本当に真面目に仕事をしようと思ったのは30歳になって結婚してからです。その時、仕事を辞めるか、家庭に入るかの選択に迫られました。当時は結婚後に保健師が違う町で正職員で働くというのがあまりなく、辞めたらパートしかなかったのでどうするか悩みました。夫と話し合って、夫が退職して職場を変わることになりました。私が自分の意思で仕事する事を選択したので、「頑張らなければ」と思いました。

 

-旦那さんが退職したのですね!長く働く事も決めたし、家族が自分の働き方に合わせるという事もあって、より一層仕事しようと思ったんですね。

 

インタビューの中でもいつもチャーミングなお人柄

 

 

「一人では何もできないこと」を悟り、周りの力を得て成し遂げた介護保険制度のはじまり

 

飯山: 10年目に転機が訪れました。中堅の保健師研修を受けるために、はじめて北海道から出て色々な人から話を聞いて、そこで価値観もガラッと変わりました。あの時のことは今でも忘れません。

その時の講師の先生からは、「保健師は行政職なんだよ。一般事務職がやっている行政の仕事と、保健師の仕事を一人前に出来てはじめて、行政の中で認めてもらえる仕事なんだよ」と言われて、目から鱗が落ちた様でした。

それまで保健師の視点はあっても、”行政の中で”、という視点は全然ありませんでした。「私は保健師で、事務屋とは違うわ!」という態度をとっていました。「保健師は、行政の職員として、行政の視点をもっていないと誰からも認めてもらえないんだ」と、それから自分の仕事に対する態度を見直しました。

 

-専門職としての保健師という視点から、行政の中での保健師の視点へ。とても大きな変化ですね。

飯山: そのあと、介護保険制度ができる過程で”ケアマネジメント”という考え方がヨーロッパやアメリカで一般的になっていることを知り、これからはそういうスキルが必要になると思いました。2週間の研修に行って、これからは多職種の中で調整をすることや、マネジメントが大事になるということを学びました。

介護保険制度施行の準備のために保健師として福祉領域に配属された時に、”一人では何も出来ないこと”を自覚しました。上司や福祉協議会の人や医療の人に声をかけて、準備段階でケアマネジメントを多職種で理解していこうと働きかけたり、一緒に動いたり作業をしていました。無いものを作るのは大変だけど、勢いがあって楽しいですよね。夢を語りながら出来るのですごく面白かったです。

 

「第7回 介護保険推進全国サミットinほんべつ」での飯山さん

 

 

-改めて、ほんべつというのはどういう町ですか?

飯山: 悪く言うと、とても見られている感覚があります(笑)。若い頃は買い物カゴに一つ入れるもの気を使うみたいなのが嫌でしたよ。

良く言うと、ほんべつに住む人は地域の色々な事を気にかけています。それをありがたいと思えるようになったのは、子供が生まれて小学生になってからですね。子供が親から離れて過ごすようになった時に、“あそこの公園で誰々さんと遊んでいたよね”とか、そいう情報って結構ありがたくて、立場が変わると、見ててくれるのはすごく助かりますね。

 

-今の働き方は仕事を始めた時は想像出来ましたか?

飯山: 仕事を始めた時は30何年ここで働いて定年する、というイメージは全然なかったですね。それに、今のような管理職をすることなども想像していませんでした。60年ぐらいずっとここで住まわせてもらったので、退職したらどこか自分の好きな所に住むのが夢です、笑。

 

-札幌や東京に行こうとか、働きながらそういうのは考えましたか?

飯山: こういう町の保健師をやっていると、札幌や東京で保健師をするのは絶対に無理だろうなと思ってしまいます。人口規模が違うと、保健師としての仕事の仕方も違いますからね。

 

-飯山さんの趣味、プライベートは?仕事とプライベートは意識して切り替えてますか?

飯山: 平日はのんびりしていて、時々好きな漢字パズルをやっています。長期休みは旅行へ。昔は仕事を家に持ち帰っていたこともあるんですけど、いまはよっぽどの事がないと土日は職場には来ません。議会前とか、どうしてもやらないといけない時はありますけど、それ以外の休みの日は職場に近づかないようにしています。笑。

 

-日々エネルギッシュに仕事をされている飯山さんのオン・オフのメリハリの付け方は素敵だなと感じました。本日はありがとうございました。

 

インタビュアー
地域包括ケア研究所 藤井 雅巳

抽象的に捉えられがちな「地域包括ケアシステム」を、実践を通して具現化するシンクタンク「地域包括ケア研究所」の代表理事。2017年より本別町に頻繁に足を運び、町の魅力として、「人」にフォーカスするWebメディア「HOTほんべつ」を企画。

地域との“つながり”を感じる町
ほんべつ町とは?

ほんべつ町を知る