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佐藤隆史さん

父が残した”シフォンケーキ”が、人と人とをつないでくれた。創業100周年を迎えた老舗菓子店・松月堂の佐藤隆史さんのお菓子作りの原動力

ほんべつ(本別)町に松月堂という老舗の菓子店があります。佐藤隆史さんは父親の急病から21歳の時に店を継いだ4代目で、2018年には創業100周年をお祝いすることができました。お店の経営が順風満帆ではなかったからこそ生まれたヒット商品のシフォンケーキ(以下、商品名「しふぉんけ~き」)が、今では人と人をつなげることに貢献しています。「それが自分の喜び」だと語る、佐藤さんの激動の心温まる優しい生き方。

佐藤 隆史(さとう たかし)

1981年本別町生まれ。本別高等学校卒後、札幌の洋菓子店で修行中の21歳に父親の急病により実家の老舗のお菓子屋・松月堂を継ぐことに。一度は潰れかけるところまで行ったお店を再建し100周年を迎える。商工会青年部長。松月堂・店長。

松月堂HP

父がのこしてくれた”しふぉんけ~き”のレシピで、思いをつなぐ

-松月堂さんの”しふぉんけ~き”はほんべつでは定番品なので、食べさせていただきました。フワフワでしっとりしていて。洋菓子の要素を取り入れたんですね。

 

佐藤さん(以下、佐藤): 高校を卒業してから札幌の洋菓子屋さんで2年間働きました。父が倒れてお店を継いだ時、自分の力不足で3年目にはお店が潰れる寸前まで売り上げが落ち込みました。でも、代々続いてきたお店を潰すわけにはいかないと考えました。

 

「一番世の中に広めたいお菓子は何だろう」と家族と一緒に考えた時に、父が残してくれたレシピにあった「しふぉんけ~き」しかないと思いました。お店の状態をなんとか巻き返そうと思って、イベントの催事にも積極的に出ました。まずは知ってもらおうと色々な人に試食をしてもらえる機会を作りました。はじめはさっぱり売れませんでしたが、催事に出たり、贈答用などに企画を工夫して提案するなどして、そこから少しずつ売れるようになりました。

 

この”しふぉんけ~き”をきっかけに、少しずつ人と人とが繋がっていくのを実感しました。地元のつながりに貢献できるって本当に素敵だなって感じています。僕は、ほんべつの地元の人たちに食べてもらうことが大好きなんですよ。苦労しかなかったけど、長い時間をかけて今ではお店で一番の看板商品になりました。

 

-プレーンだから、トッピングも食べ方も色々ですもんね。餡とかクリームをつけても絶対に美味しいだろうし、あらゆる世代の方に楽しんでいただけますよね。ところで佐藤さんは札幌で働いていた時は将来的にはお店を継ごうと思っていたのですか。 

松月堂の人と人とをつなぐ”しふぉんけ~き”

 

佐藤: 高校3年の時に急にお菓子屋さんをやろうかなと思ってあまり考えずに就職したので、働いている時はそれほど帰ろうとは思っていなかったです。そのお菓子屋さんで今の奥さんと知り合って21歳のときに結婚をしたのですが、結婚式の日にいるはずの親父がいなかった。それで、親父が倒れたことを知りました。家族が気をつかって当日まで知らせないようにしていたようですが、そのとき直感的に「俺がやらないと。継ごう。」と決めました。結婚式の1週間後にはほんべつ(本別)に戻っていました。

 

-ドラマのようなシチュエーションですね。4代続くお店を継承するのはどういう感じなのでしょうか?

 

佐藤: 親戚からは「2年程度修行したくらいで何も出来ないでしょう?もう少し修行してからでもいいんじゃない。」と言われたんです。でも、お店が100年近くやってることがずっと気になっていて、「いま帰らなかったらお店をたたむしかない。帰ってきてから『もう一回やる』というのもなんか嫌だな」思ったので、失敗するかもしれないけど、とにかく「やってみよう」と思いました。奥さんも快く、(ほんべつに)帰ろうって言ってくれました。

 

お客さんと、支えてくれる仲間がいるから商売が続けられる

-100年って本当に凄いですよね。「続けること」って実は容易ではない。

佐藤: そうですね。若い時から商工会の青年部に入っていて今は2回目の青年部長をしているのですが、ここで出会った仲間たちにはとても助けられています。去年の100周年のイベントの時も本当に準備が大変だったんですけど、青年部を通じて出会った先輩や後輩たちがそれぞれの分野で事前準備も快く手伝ってくれて。100周年イベントというきっかけを通じて、100年続けられる商売のありがたみや地域とのつながりのありがたみを痛感しました。

100周年記念イベントの様子

 

-100年受け継がれてきた、松月堂さんのコンセプトなどはありますか?

 

佐藤: こだわりのコンセプトというのはあまりないんですよね(笑)。ただ、地域に根ざした商売をやってきたので、人口が減ってきている中でそこに向けて発信することはどんどん意識してやっていこうと思っています。

自分が継いだ時は経営自体も非常に厳しかったんです。その後、機械にも投資してお菓子も安定して店頭に並べることができるようになったのですが。子供が6人いるのですが、高校2年生の子が継ぐと言ってくれているので、継がせるならすぐにパス出来るような経営者になりたいなって思っています。僕がそれを受けれなかったので(笑)

-親の背中を見て、子供が高校生のうちに継ぎたいと言ってくれるのは嬉しいですね。

佐藤: いまだに本人に聞きますよ。「本当にやるの?すごく大変だよ」って(笑)。

 

ほんべつ町のゆるキャラ「元気くん」とのコラボ最中

-佐藤さんにとって、ほんべつの町はどんな町ですか?

佐藤: 極論で言うと、「何もない」。青年部の「豆まかナイト」のイベントも、はじめる当時かなりいろいろな案を検討しました。あの祭り自体、この町には何も無いというコンセプトから始まっていて、「豆しかない」に行きつきました。今年から商工会の青年部の枠を超えた実行委員会という組織作って「豆まかナイト」やるんですよね。何も無いから上しか無い(笑)。

 

-ほんべつの魅力って何ですか?

佐藤: 僕が感じるのは、「一生懸命の人が多いこと」ですね。商工会青年部もそうですけど、一生懸命の人を一生懸命の人が応援してくれる町かな。

100周年の時に、一生懸命やってきたからこそ手伝ってくれる人がいるのだなとすごく分かったんです。自分の想像をはるかに超える応援のエネルギーを感じて、100年間継承してきたバトンを受けとってここまでやってきて本当に良かったなって。一生に1回味わえるかどうかのものを味わうことができました。

-そんな瞬間を味わえる人生って素敵ですね。きっと佐藤さんの生き方が、そんな“出会い”や“100周年の瞬間”を導いてきたのですね。今回は、本当にお話を伺えて楽しかったです。ありがとうございました。

インタビュアー
地域包括ケア研究所 藤井 雅巳

抽象的に捉えられがちな「地域包括ケアシステム」を、実践を通して具現化するシンクタンク「地域包括ケア研究所」の代表理事。2017年より本別町に頻繁に足を運び、町の魅力として、「人」にフォーカスするWebメディア「HOTほんべつ」を企画。

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