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富川範己さん&田所洋平・優花さん夫妻

最高のタイミングで引退する。50年間本別町で農家を営んできて、第三者継承という道を選んだ富川さんと、継承する田所夫妻の物語り

十勝・本別町で農家を50年間営んで来た畑作農家の富川さんは、2021年、町の「第三者継承」のスキームを活用して若い移住者の田所夫妻への継承の道を選択しました。今まで農家をやってきて「今年が最高の年」という富川さんが、選択した第三者継承という決断。畑作農家への転身を目指し移住してきた田所夫妻との出会いと、地域への想いを、「継承の瞬間」の今語っていただきました。

 

富川範己(とみかわ のりき)

1953年生まれ、本別町出身。本別町の押帯地区で農家を営む3代目として営農。70歳となる目前の2021年を終えて、第三者継承による農場の継続を選択した。

田所洋平(たどころ ようへい)

1990年生まれ、兵庫県尼崎市出身。サラリーマン家庭で育ち、北大水産学部と同大大学院へ進学し、その後2016年に種苗会社へ就職。2019年に本別町へ移住し、営農を目指す。

田所優花(たどころ ゆうか)

1992年生まれ、長野県川上村出身。レタス農家で生まれ育った。群馬大工学部を経て、2016年、洋平さんと同期で種苗会社へ就職。

 

農家になったきっかけ、そして醍醐味

 

-よろしければ、農家として何を作っているとか、農家になったきっかけとかお伺いできますでしょうか。

 

富川範己さん(以下「富川」):本別出身で、親から継承して三代目。高校卒業してから畑作農家をはじめて現在68歳なので、約50年になります。作っているのは、芋、小麦とビートと豆。豆は、金時に小豆に大豆だね。

いつも言うんだけど、50年やっても、農家にはゴールがない。結局は、いい時よりも悪い時ばかり。だから、50年やってても本当にいいときは、何回あるかだね。完璧なことって、なかなかない。

今年だって、(春)小麦が良くていいなって思っていたけど、やっぱり、芋が悪い。夏場の日照は良くても、雨が足りなかった。50年やってても本当に「いいな」っていうのは1回か2回。それでも諦めないで、次の年こそはと思ってやってきた。

(写真)これまでの営農生活を語る富川さん

 

-毎年毎年、きっとちょっとずつ新しい発見とか改善をしているわけですよね。極めがいがありますね。

 

富川:ただ、辞めたいと思ったことはないんだ。30年ぐらい前に、嫁を亡くしたんですけど、その時も、やっぱりやめようとは思わなくてね。

 

-幼少期はどんなお子さんだったのですか?

 

富川:子どもの時代は、普通の子でしたよ。家の手伝いはしていて、あとは、野球だとか陸上だとかをやってたね。スポーツが好きだったからね。まあ、高校卒業したら、あまり考えずに「農家」っていう感じでね。青年団にも入って、いろいろと活動してたりもしたな。その時に色々と全国も行ったさ。一応、これでも何10年前に、全道で、優良勤労青少年で表彰されたからね。

 

-じゃあ、当たり前のように、高校卒業してから実家を継いでやっていくという感じなんですね。

 

農家としての苦労

 

-富川さんが、これまで50年やってこられて、1番苦労されたことってどんなことでしょうか?

 

富川:苦労は、やっぱり穫れないときだね。借金があったからね。手元にお金が残らんということは辛いね。なんぼ努力したって、まあ天候には抗えない。それに、なんぼ良いもの作ったとしても値段が安いとか。完璧なことは絶対にない。

 

-逆にできすぎると下がっちゃうわけですよね。どうしようもない、うまくいかない時はそうは言っても、起きるわけじゃないですか。起きて、その時に富川さんは、どういうふうに考えられるんですか?それをどう乗り越えてこられたのでしょうか?

 

富川:どうにもならん時かい?まあ、1番は、「なんとかなるさ」だね。本当に帳面上なんて絶対できないから。肥料だって、使う量を計算しても、そんなうまくいくわけないし。天候にだって、左右されるからね。今の人たちは、机の上で計算を始めるから。我々は、肥料なんかでも現場に出て、「これだけ使えばいいのかな」っていう感じだけどね。本当はダメなのかもしれないけど、勘かな?計算したってどうにもならん時はいっぱいあるからね。

 

-ある意味、できることはやり切って、あとはもう結果を待つしかないっていう、そういう心境なんですかね。

 

富川:僕ら営農設計をするのですが、当初の設計以上に残るときはね、やっぱり、本当に嬉しいもんですよ。ただ、穫れないときでも、値段高い時はあるからね。その時は、収入も上がるけど、そんなときは、あんまり嬉しくはないね。穫れないのに上がるんだからね。穫れて値段が良ければ最高だね。

 

-作り手もハッピーで、消費者も、当然良いものが適度な価格で手に入るわけですよね。これまでやられてきた中で、富川さんにとって、印象に残っている瞬間ってありますか?

 

富川:やっぱり、今年だね。田所くんたち、二人が来てくれて。やっぱり、一人でやるのと、二人や三人でやるのは、全然違う。一人だと思ったら、何から何まで独りでやらないとならん。機械一つ取りに行くのも、全部独りでしょ。

 

-そしたら、50年やって、今年*は最高の年であると。

*インタビューは、2021年11月に行いました。

 

富川:最高の年で、最高で終われるね 笑

(写真)50年の営農をやり遂げて、リビングでくつろぐ富川さん

 

継承を考えたきっかけ

 

-今回、見事に、こうしてお二人来られて、継承して続けて行こうとされていますよね。

 

富川:嫁が亡くなっても、だいたい爺ちゃん婆ちゃんの両親に助けられて、あとは地域のみんなにお世話になって、頑張ってこれた。やっぱり地域は大事。この押帯地域も、純粋な畑作農家っていうのは、もう自分含めて2軒しかいない。自分が辞めてしまったら、本当にもうひとりの人しかいなくて。その方も、もう70歳ぐらいなので、リタイヤの年が近い。

そしたら、この押帯地帯って、誰もいなくなっちゃうんですよね。それはやっぱり困るんじゃないかなって思って。それで、こういう新しい人たちが入ってくれたらなって考えたんですよ。自分なりに、70歳ぐらいになったら、もう農家やめようかなと考えていたから。

 

-辞めることを考えられていたのですね。何か準備などをされてきたのでしょうか?

 

富川:俺自身、どこかで農家の勉強をしてきたということもない。教える方も、教えたことも教えられたこともないから、苦労しました。もう、最初からストンだから。だから、田所くんには本当は、どっかで研修とか何回かやってもらって、ここに入ってもらうのが一番だとは思ったけど。

 

-そうですよね。教える前提でやってこられてないわけですよね。それでも、色々試行錯誤しながら仕事を教えられていると伺いました。

 

富川:自分は、人も使ったこともないし、どうやって教えていいかもわからない。ただ、昔の人間だから俺を見て「盗め」、と。一々手ほどきはしないけど、朝早く起きて、自分がやるのを来て「見てれ」という感じ。

 

田所洋平さん(以下「洋平」):やっぱり、勘どころっていうのは、やっぱありますよね。やってる方が1番わかってますから、それを一生懸命真似しながら学んでいくことができました。

 

富川:あとは、本当に慣れだね。やっぱり慣れてきてもらうしかないかな。

畑でも何でも、どうやって学んでいくかってのは簡単ではないですね。教える側も、失敗したらどうしようかなって考えてしまうし。

 

洋平:機械も高いし、作物も大事だし。それでも、結構、色々任せてもらってやって、勉強になりましたね。

 

-そうは言っても、「これはちょっと失敗しちゃった」みたいなこととか、これは親方に迷惑かけてしまったみたいなこととか、ってないですか?

 

洋平:結構ありますよ。大きく壊したっていうのはないですけど、ちょいちょい、(機械の)先っぽがかけたりとか。

 

富川:今年は俺が払うけど、来年から「あんただね」っていう話をしてる 笑。

でも、小さな失敗をしていかないとね。失敗しながら学んでいく。

 

-改めて、なぜ第三者に継承しようって思われたんですか?

 

富川:この押帯地域に農家をやる人がいなくなるので、町内の他の地域から来られるよりも、新しい人が来て就農する方が、地域も潤うし、将来的にもつながっていくのではないか。他の地域で農家やってる人へ譲っても、畑は引き継げるけど、人口が増えない。

全部すべて移るっていう第三者への継承って、あんまりないからね。こういう若い人たちが、まず見本を作ってくれるといいなって。

 

-でも、そういうものに、地域の方で反対する方もいますよね。

 

富川:そう、いますよね。周りではまだ規模拡大のために土地が欲しいのに、なぜって。

でも、俺が言うのは、なんぼ50町、100町作っても、最後どうするのよって。1人でなんて絶対できないからね。それに、地域に農家がいないといざという時に困るし、地域だって続かなくなってしまう。だから、「規模拡大しました」って自慢話も聞くけど、そのあとのことを本当に考えているのかな?って。

本当に、地域や農地のことを考えているのか?法人を作ることだってできるのに、自分ひとりで頑張ろうとしても、それは無理だって。一人でいくらがんばって、今はよくても、結局、押帯みたいになってしまう。抱えきれなくなるんですよ。じいさんばあさんになって後継者がいないなんて。

ここの押帯地帯は、今の農家に後継者もいないから、担い手を増やしたくたっても増えないわけですよ。どうにもならないわけさ。だから、こういう若い人たち来ることにも、この地域の人たちは、おおいに賛成してくれる。

ここは、まだまだ農家やれるチャンスなんですよ。後継者がいない人が多い。畑などは大きな面積を持ってる人たちが大勢いますからね。だからよく言うのは、この二人が見本になって、本当に継承がうまくいったら法人でも作って大きな大農場作ってもいいかなって。そして、将来に向けて、また次に継承していく人材を育てていかないと。

 

洋平:でもそうなんです。これからは、共同してやらないと。きっと誰もが、将来ぶち当たるところだと思うんですよね。

 

-それって、理屈ではわかっていても、なかなか出来ないっていう方が多いでしょうね。今の日本の中小企業で起きていることと同じ現象ですよね。その中で、継承の決断をして、「70歳までに辞める」って言われた、ご自身の計画もしっかり実行されてっていうのはすごいことですよね。

 

富川:農家だってさ、定年があってもいいでしょ。だから、「老人になりました。やめます」じゃなくて、やっぱその前に自分の道筋をつけておかないと。だから、こうやって継承してくれる人いないかとか、探しておかないと絶対無理だと思う。

 

-このインタビュー見て、また押帯に新しい方が来てくれるかもしれないですね。この押帯地域って何世帯ぐらいあるんですか?

 

富川:20(世帯)ぐらいかな?畑作以外は、牛の肥育あとは酪農家と育成屋さんが多い。

農家をやってない世帯もいますよね。ここから町に通って仕事している。親はやってたけど、自分はもう働いてて土地だけ貸しているとかの方もいますし。

 

-そうなんですね。先日、若林農場さんにお話伺ったんですけど、若林さんも本別に戻ってきたタイミングで、たまたま4世帯くらい同じくらいの年代の方が、地域に来られて、中には外から来られた方も居たらしいんですけど、その地域で若い世代同士で盛り上げていけるから、それがすごく心強かったみたいなこと言われたんですよね。でも、畑だけあって、そこに人が住んでなかったら、もう地域としてはなくなったも同然になってしまうと思うので。

 

田所優花さん(以下「優花」):そうですね。結局は自治会とかも大切ですよね。畑は違う人が使ってるけど。自治会は?農道の整備は?…。意外とそういうこと、たくさんありますもんね。

 

-僕は、町の福祉や教育などに関わっているのですが、例えば農業だけ見ると広い面積の農地を大型の機械で仮に出来たとしても、やっぱり町としての機能などが人が少なくなると維持できなくなるものが現れる。どうしても色んな世代がバランスよくいないと機能しないことが多いって感じるんですよね。だから町の機能が死んでしまったら、当然、農家さんの暮らしも成り立たなくなるわけで。

 

優花:そうですよね。100町、200町持ってる農家がポツンポツンといったって、スーパーやコンビニだって、病院だってなくなっちゃいますよ。銀行や郵便局だってわざわざ置かないだろうし、水道とかもね、

 

-やっぱり教育機関なども無くなっていくと、教育の機会が限られてしまうので。そうすると、新しい世代が来なくなってしまうので悪い循環になってしまう。だから、町として何を大事にするのかというのはすごく大切。優先順位つけて先行投資をすることも必要ですよね。

(写真)今後のことを話す田所洋平さん

 

「引退」という選択

 

富川:自分はこうやって継承していくわけだけど、離農でないからな。俺は「離農」という言葉が嫌いなんだ。「離農」というのは昔から使われていたのは、借金したり、どうにもならなくなってやめる状態のこと。

 

洋平:なんか倒産みたいなイメージですね。離農でなく、「引退」とかの方があってますかね?

 

富川:「引退」だよな。社会人だったら定年で、引退してって普通だけど、農家にはあまり定年ってないよな。あったっておかしくない。

 

優花:そう、「自分で決めた」ってことに意味がありますよね。

 

富川:そう、「ここまでやろう」って決めること。やっぱり決断。第三者に、承継するっていう決断。俺は兄弟5人いるから、一応、親から継承した土地だから、兄弟にも聞かないとだからな。

何より、本当にタイミングよく(二人には)来てもらった。

(写真)富川さん、最後のビートの収穫の様子

 

-確かに。それも、1つは富川さんのお人柄があってだと思いますよ。でも「勇退」されて、今後どんなこと考えられてるんですか?

 

富川:ここ(押帯の自宅)にいますよ。この人たちと一緒にいて、少しは働かないと嫌だな。やっぱ体動かしてないとなまってしまうし。

 

優花:せっかくだから、何かしたいこととかないんですか?今まで夏はずっと仕事してきたわけですよね。

 

富川:ただ、いま本当にまだしたいことは、みつからない。まあ、来年からゴルフでもしようかな?旅行もいいけど、1人じゃ嫌だから、周りの連中を誘わないと。もう、周りの連中もそろそろ歳だから、おれが辞めると「いいな」ってなるんじゃないか 笑。

でも、ゴルフやるって言っても、80歳や90歳になってから辞めても、その時には、出かけるのも辛いってなりそうだよね。

でも、何かあったら畑の手伝いするさ。

 

-(富川さんが)近くにいて頂けるって心強いですよね。

 

洋平:そうですね。やっぱり、1番畑のことよくわかってるから。わからないときは、すぐに聞けるっていうのも本当にありがたいですね。

 

富川:本当に聞いて 笑。

一人でも二人でも、こうやって、若い人たちが来てくれるのはいいですよね。これまでも、本別にも結構、役場を通さない就農はいたんだよな。

 

優花:本別は、役場や農協が本当に全面的にバックアップしてくれる。今回、私たちで3組目、荒井さん(仙美里地区)が初代で、もう1件、近くの育成農場に入ってる農大卒の子がいるんですけど、その子含めて3組目。ちゃんと、2年研修して就農するというルールで、町役場や農協が全面的に関わってくれる。

 

洋平:これまでは、個人的なツテとかで多分就農されてると思うんですけどね。ただ、農業やるだけじゃなくて、普段の生活から様々な面でのサポートがあって、補助もある。

 

-そういう取り組みを積極的にやってる町なんだって、ちゃんと全国的に知られればいいですね。

 

優花:東京での北海道フェアで、本別がすごく好印象だったんですよ。本別は畑作農家で事業継承という形で提案してくれた。だから、「見に来てください」って言われてすぐに見に行くことになって。町と農協が協力し合ってやってることがとても伝わってきました。就農することだけではなく、周りの住民の人とか、生活のこともサポートしてくれる。

 

富川:そういう町が頑張っている現状って、本別の町民もあんまり知らないよね。

 

優花:富川さんって、自分で農協に(継承の)話をもっていかれたんですか?

 

富川:俺?そうだよ。俺は、半分冗談で、「70歳でやめるんだ」って、「誰か入る人いないかって」。引退者の募集が掛かってたわけじゃないですからね。

 

-やっぱり、それ(引退する意思)を言える人と言えない人いますよね。絶対。

 

富川:そうなんだ。本別でも譲りたいっていう人、だいぶ出てきていると思うけど、なかなか役場も農協も「あそこが良いから行け」って、勝手に言うわけにもいかない。失敗したとき困るからね。

 

優花:本別は、先に1軒1軒マッチングした上で外から来てもらっているんですよね。来る前に(農家との)マッチングをしっかりとして、その上で「ここ」って決めていくことができる。それがないと、やっぱり、移住して就農できるかどうか不安ですよね。

本別って、ちゃんと、行政が間に入って、この辺りを枠組みで取り組めていますよね。

(写真)談笑する田所夫妻

 

-富川さんが、今後、引退されてゴルフ楽しんでいたら、「俺も」って方があらわれるんじゃないですか?

 

富川:70歳にもなったら、もう働きたくないよ 笑。それに、負債をいっぱい抱えてやめたらみじめだよ。やっぱり、手元に少しでもある間に、辞められるなら辞めた方が、いいよって。本当にゼロになって辞めたら、ずっと働き続けなければならん。それじゃ、面白くもなんともない。うちらも借金は嫌いだったんだ。はじめは借金はしたさ。本当にしんどかったけど、借金を少しでも減らそうと頑張ったから、今がある。いつの間にか借金もなくなって、やっと「物事」言えるようになった。

だから、引退する側・辞める人も、こういう若い人たちに今までやってきたことを教えながら、本当に良い状態の時にちゃんと渡していくというのが大切。どうにもならない状態だと、普通は受け取れないよ。だから、我々辞める側も、いい時に渡せるようでないとダメなんだ。

 

優花:惜しまれて辞めるぐらいがね。「やめちゃうんですか?」ぐらいで辞めたのが、一番かっこいいですよね。

 

富川:「俺はまだ穫れるんだけど、譲ってやるんだよ」っていうのがカッコいい。まだまだ最高にできる状態で辞めるんだから。

 

洋平:そうですよね。そして、譲り受ける僕らは、ちゃんとやるだけですからね。

 

富川:「こんなのにこられたら困る」って、後から言われたのでは困るからな 笑。でも、「2人はちゃんとやりそうだ」って、周りの農家の人たちが言ってくれている。農家が言うんだから、間違いないでしょう。

 

優花:最初の出会いは、役場、そこから富川さんにつながって、地域の人に広まって。私たちがぼけっとしてたら、みんなに迷惑かかるから。

 

洋平:役場の人とかも、今の制度を勧めづらくなっちゃう。富川さんのポジションの人が増えても、周りに勧められなくなっちゃいますからね。俺たちが、ちゃんとしないといけないね。今の制度のモデルケースにならないと。

 

富川:俺もそうだ。俺も譲る側のモデルケースにならないとな。

 

-これからも、お二人のご活躍と、富川さんの第二の人生を楽しみにしています。本日はありがとうございました。

 

(写真)富川さん最後の収穫を終えて

インタビュアー
地域包括ケア研究所 藤井 雅巳

抽象的に捉えられがちな「地域包括ケアシステム」を、実践を通して具現化するシンクタンク「地域包括ケア研究所」の代表理事。2017年より本別町に頻繁に足を運び、町の魅力として、「人」にフォーカスするWebメディア「HOTほんべつ」を企画。

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