チャレンジする

前田茂雄さん

十勝ポップコーンの誕生と、ほんべつひまわり迷路復活の裏側。”百姓イコールなんでも屋”の前田農産・前田茂雄さんのパイオニアスピリットとは。

前田農産食品株式会社の代表・前田茂雄さんは、ほんべつ(本別)入植後120周年を迎える一族の子孫です。先祖が開拓したフィールドを次世代につなげるために「十勝ポップコーン」づくりにチャレンジし、度重なる失敗を克服して5年かけて商品化、農林水産大臣賞まで受賞するヒット商品にすることができました。ポップコーンの次は、一度途絶えた「ひまわり迷路」の復活と、「農」を中心としたエコシステムの形成を目指して挑戦し続けています。


前田 茂雄(まえだ しげお)

1974年生まれ。北海道・本別町出身。東京農業大学卒業後、テキサスA&M州立大学、アイオワ州立大学にて米国の大規模農業経営や流通を学ぶ。1999年 前田農産食品合資会社入社し4代目として本別町で就農。現在、前田農産食品株式会社 代表取締役。

前田農産食品株式会社(HP)

前田農産食品株式会社(facebook)

 

 

重ねた大失敗から学んでついに完成させた、レンジで弾けるポップコーン

 

-前田農産さんといえば、パン屋さん向けのこだわのり小麦作りに加え、十勝ポップコーンづくりに取り組まれていますが、どのような経緯があったのでしょうか?

前田さん(以下 前田): 前田農産は、僕で4代目なのですが、1899年に入植なので、今年で120周年になります。120年経って先代達が開拓した畑で、同じ農業ができることに日々魅力を感じながら営農していますが、僕が30代前半の頃に代替わりをするとき、“前田農産はこの先どうやって農業を営んでいくの?”と疑問を持ちました。初代がこの地に来た120年前から<冬場の仕事をどう作るのか>は課題で、先代たちは澱粉工場をはじめたり、大規模農業に舵をきったり、その時々で時代の流れに対応してきました。僕も、最初は山で枝払いなどの冬場の仕事作りを試みたのですが、臨時の仕事ではなく畑の流れに付加価値をつけた仕事にしたいと考えたことが経緯です。

-ポップコーンであれば、加工や包装などの業務を冬場にも行えるということですね。

前田: 2014年から”冬将軍に勝てる事業をやる”と栽培しはじめたのがポップコーンです。うちは小麦を栽培していて小麦粉をパン屋さんに流通させていてるのですが、収穫する機械は3000万円もします。資源を有効活用することを考えたときに、この機械を小麦の収穫以外にもつかえないだろうかと思ったのがきっかけです。

ただし、ポップコーンづくりはそんなに甘くなかった。4年間まったくものになりませんでした、笑。周辺では、スイートコーンや飼料用のデントコーンを栽培していて、どうして同じコーンなのに誰も取り組んでいないのだろうと思ってはいたのですが。

-4年も失敗したのですか?よくそれだけの期間かかって継続しようと考えましたよね?

前田: 1年目は霜当たりで14トンを廃棄しました(笑)。あてずっぽうだったから大失敗したのだと思い、師匠を探しました。アメリカのポップコーン農家を探して、自分でアポを取って学びに行きました。彼らから教わって何が課題なのかがわかりました。他にも十勝の酪農家との出会いがあり、課題をクリアするためのヒントを得ました。

2年目の収穫時期にはぴかぴかの良いポップコーンが採れたのですが、それを乾燥機にかけたら黄金のポップコーンがだんだん白っぽくなってひびが入り、全然コーンが弾けませんでした。2年目は13トンものコーンを破棄することに・・。

 

3年目は乾燥工程にテコを入れて、乾燥するときに小麦粒とポップコーンを混ぜ合わせてみました。これには2つのねらいがあって、1つは小麦を水分吸着剤として使い、なるべく自然に近い状況下で乾燥すること。もう1つは小麦を緩衝材として使い、乾燥時にポップコーン同士がぶつかり合うことを防ぐことでした。このアイデアも、以前黒大豆で豆腐屋をやっていた人にたまたま出会って得たヒントでした。

 

収穫され乾燥されたぴかぴかのポップコーン

 

3年目の11月に収穫したポップコーンを小麦と混ぜておき、翌年4年目の5月に選別することができましたが、今度は売る事を考えなければなりません。再びアメリカに行き電子レンジの機械メーカーや包装メーカーにヒアリングし、自分たちで1年半かけて工場を建てました。2016年の春、5年目にしてようやく工場が動き出して販売を開始、2017年には県知事賞を、2018年には農林水産大臣表彰を頂くことができました。

 

アメリカまで研修に行くとか、前田さんのアイデアや行動力、人との出会いが重なってできたのですね。

前田: 廃棄して何百万円も台無しにしたし、あきらめるなんてポップコーンにも先祖にも申しわけないし、何よりも一緒に働いているスタッフたちに、失敗したからあきらめる姿をみせられないと思いました。やりきらなかったら、ポップコーンが弾ける前に経営がはじけとぶ感じでした(汗)

 

アイデアと行動力と人の縁で完成した「十勝ポップコーン」

 

畑と作物と、取引先と地元の人がつながる「ひまわり迷路」

 

-そして、今年は「ひまわり迷路」を復活させるとお聞きしました。

前田: ポップコーン商品化の次は、畑の輪作の課題に向き合いました。連作障害の回避と、収穫する機械を有効活用できないかと思いついたのが、ひまわりの栽培です。ひまわりなら土の多様性も生態系の循環もすることがもできるし、なんといっても綺麗で華やかなので、農村風景や十勝の“なつぞら”にも合うなぁと。そんなひまわり畑を「出会いの場にしてはどうか?」と思ったのです。

2019年復活した「ひまわり迷路」

 

-「出会いの場」とはどういうことでしょうか?

前田: ひまわり迷路に、小麦を卸している取引先のパン屋さんや地元の人を呼んで入場料をいただき、ポップコーンを1つあげます。ポップコーンとひまわり迷路をSNSに上げてもらえたら、うちのポップコーンも売れるかなと(笑)。

それだけではなく、ひまわりの種を収穫してパンにして食べるまでをビジネスにするチャレンジをしています。せっかくなら、取引先のパン屋さんやお菓子屋さんに還元できるようにしたい。収穫したひまわりの種を稃(だっぷ)してローストして。ドイツでは、ひまわりのパンを“ゾンネブロート”と言って日常的に食しているけど、日本にはまず原料がありません。ないのであれば僕が作ろうと思いました(笑)。アメリカに渡って栽培や流通の勉強もしましたよ。

過去には、親父たちがとうもろこし畑の「3万坪迷路」とか、子供達に泥だらけで畑で遊んでもらおうというイベントをやっていました。その後、瀬戸田さんという方が「ひまわり迷路」をしていたのですが、父も瀬戸田さんも亡くなりひまわり迷路も一昨年に閉鎖。2019年の今年になってようやく「ひまわり迷路」を復活することができました。

僕らのビジネスが続いて、地域にも人が来るきっかけにもなれば「十勝ほんべつ町」の発信になるし、地元住民との交流もはかれる。この仕組みは、「出会い」をもとに人々の縁を紡いだビジネスモデルなのかなと思っています。今年のひまわり迷路の復活を通じて、あらゆることが繋がっていきました。

今の時代はどうやって食べてもらうかの場の提供も重要だと思います。農協や卸売業者、小売りに売ってもらうのが当然ですけど、我々の最大の強みは畑なので、営業場所である畑を生かそうじゃないかと思いました。

 

-「出会い」をビジネスに変えていく。合理的でもあり本当に前田さんの発想は凄いですね。

前田: 合理的に考えないと、スタッフが疲弊しちゃいますからね。僕の場合は、ポップコーンで4年も転び回ったから、今回のひまわりも失敗して当然だと思っています(汗)。失敗に耐えられるのは、我が家に120年の歴史や積みかさねがあるから。

初代は岡山から片道切符で来て、隣の池田町で嫁をもらってほんべつがまだ開拓されていない時代に単独で新婚2人で来たらしいし、2代目の祖父母は戦時中に澱粉工場をやっていました。3代目の父は、畑作専業農家でやると決めて規模を拡大してきたという歴代の積み重ねがあるので、自分の失敗はたいしたことではないと思っています。

 

-今日は本当にお会いすることができて楽しかったし、ほんべつにはすごい人がいることを改めて実感しました。

前田: この町には思いがある人っていっぱいいます。でも、“町づくり“ってどうやっていいか分からない。シンプルに自分ができることを他の地域の方々も巻き込みながらしていくことが、今後の町づくりや関係人口につながると思います。

開拓者たちは大自然を相手に、変わるのではなく”寄り添うやり方“で対応してきました。今も昔も ”百姓=Hundred Jobs“ で「何でも屋」なんだと定義しています。その中に町に貢献出ることだってあると思います。 

-前田さんの何でも屋のメニューは特別ですね(笑) ひまわり迷路に今年の夏家族でぜひ行かせていただきます。

前田: ほんべつの子供達や次世代が毎日の中でちょっとの変化を楽しむ習慣があれば、きっと未来はよくなると思います。自分の事業活動を通じて、次世代の人を作っていく。それをぶれない軸でやっています。自分も今年45歳なので、自分の賞味期限はあと10年だと意識しています。後は次の代にどうやってバトンタッチするか。そんな思いで、事業を通じて、組織と人を作り、地域づくりに関わり続けていきたいと思います。

初夏のほんべつで風に揺れるゴールデンウィート(小麦)

 

インタビュアー
地域包括ケア研究所 藤井 雅巳

抽象的に捉えられがちな「地域包括ケアシステム」を、実践を通して具現化するシンクタンク「地域包括ケア研究所」の代表理事。2017年より本別町に頻繁に足を運び、町の魅力として、「人」にフォーカスするWebメディア「HOTほんべつ」を企画。

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