チャレンジする

井出 友輝さん

いももちとカレーで街に人を呼び込む。イデアン・井出さんの食を通じたつながりのかたち

2020年、本別町にカレー屋さんが2軒オープンしました。そのうちの1つ、イデアンの井出さんは、カレーの他にもいももち・あげいもの製造、販売をしています。祖父から引き継いだものをどう継承し発展させようと考えているのか。井出さんの想いを伺いました。

 

井出  友輝(いで  ともき)さん

1997年1月13日生まれ。本別小・中学校卒。2015年3月年士幌高等学校卒業。札幌修学院調理師専門学校調理師科2年専攻卒業後、2018年4月より山形の洋食店で料理人としてのキャリアをスタート。

2019年に地元本別でとかち元気村を開業し、2020年6月にはカレー屋 井出庵「イデアン」を、2022年3月にはキッチンカー「ぽてと倶楽部」号をオープンした。

 

 

イデアンのはじまり。祖父との物語。

 

ーカレーをいただきましたけど、美味しいですね。またあの味を食べに行きたいなってなりました。

 

井出さん(以下、井出)祖父の代から40年以上ずっと引き継いでいる、トマトと玉ねぎと牛骨スープだけで作るビーフカレーがあるんです。1回で70kgのカレーを作りますが、そのうちの半分、30kg以上はトマトと玉ねぎで、あとは牛骨スープとスパイスをいろいろと。野菜は、地元農家さんからトマト玉ねぎを仕入れています。玉ねぎだけで作るより、トマトが入るとグルタミン酸でうまみにもつながるし、胸焼けしないんです。カレーを作ったあと、真空にして冷凍して寝かせて熟成させるところまでを含めると、1ヶ月以上かけて作っています。2日目のカレーがおいしいのと同じで、寝かせると味がなじんでおいしくなるんですよ。

 

ーそうなんですね。もともとは本別の生まれですか?

 

井出小さい頃は祖父が焼肉屋さんをやっていて、その時からずっと料理人の世界を見て育ちました。小学生になる前に祖父が大腸癌になって店を閉めることになったんです。

ある時、入院中の祖父に玉子丼を作って1人でバスに乗って届けたことがありました。自分はじいちゃんに喜んでもらいたい、少しでも元気になったらいいなという思いで作ったのですが、食欲をなくしていた祖父は、孫が作ってきてくれたことがすごく嬉しくて、これは食べなきゃいけないと、自分でもびっくりするぐらい食べることができたんだそうです。

いももちについて熱く語る井出さん

そこから食べものが大事だってことに気がついて、病院食はまずいけど食べなきゃいけない。孫をおいて弱っていくわけにもいかないと、食べて元気になっていきました。このことが調理師になろうと思ったきっかけでもあります。

その後、自分が小学校3年生の頃に、祖父がダチョウを飼い始めて、足寄湖で牧場とダチョウオイルの販売をしていました。ダチョウオイルの始まりも、アトピーの兄が日常的に楽になるにはどうしたらいいかと悩んでいた時に、たまたまダチョウオイルをもらって使ったらすごく良くなったことがきっかけで。お店屋さんをやったりと本当に色々な経験をさせてもらいました。

高校では農業と食品加工を学びました。高校3年生の時に祖父が亡くなってからは牧場はやめてダチョウオイルだけを継いで。その後調理師の専門学校を出て、山形で修行したあと、チェーン店で三重や広島、スカイツリーのソラマチでも働きました。母が体調を崩したことがきっかけで本別に戻ってきて、「とかち元気村」という名前で新しく開業してやらせてもらっています。

 

ー”とかち元気村”が、会社の屋号なんですよね?

 

井出もともとは十勝元気農園という名前で(産業)6次化をやっていて、開業してよしやろうと思っていた時にコロナになってしまいまして。危機感は2020年の1月〜2月ぐらいから感じていて、このままイベントがなかったらまずいから、すぐに何ができるだろうかと考えてはじめたのがカレー屋だったんです。

 

ーコロナがなかったらカレー屋ではなかったかもしれないのですね。

 

井出コロナがなかったらお店のオープンは伸びていたかもしれません。コロナだったから店の方に集中できたのもあります。

たまたま青年部の仲間が一緒のタイミングでカレー屋をはじめて、新聞でも本別にカレー屋が2店舗できたと載せてもらったおかげで話題になりました。いまだに言われることもあるんです。

イデアン”という名前にしたのは、笑っていいともでタモリさんが、「自分の名字や名前を使っているお店は”自信”がある証拠だ」って話しているのを聞いて、名字を入れたいなあ、入れるならイデアンしかないでしょって。

 

ーいい名前ですね。

 

井出帯広にもインデアンってお店がありますけど、直接了承を得たわけではないですけど、今のところはいいのかなと思いながらやっています。

 

ー意識はしますよね。

 

井出うちもカレーをずっとやっていますけど、帯広に行ったら家族でインデアンに食べに行きますし、福岡にいる兄は、帰省したら必ず行きか帰りにインデアンさんのカレーを食べないと十勝を出発できないとか、十勝に帰ってきた感じがしないと話すほどです。うちのビーフカレーもインデアンに近いねと言われます。

あつあつの「いももち」が乗ったこだわりのビーフカレー

 

 

循環に、MOTTAINAI。やることが早すぎた祖父からバトンをもらって。

 

ー井出さんの一族は、祖父の代で本別に来られているんですか?

 

井出祖父は帯広の農家の出身です。祖母は横浜育ちで戦争がきっかけで北海道へ。畜産農家で乳牛を育てていました。当時は、ホルスタインのメスはミルクを絞って、オスは畑の中に埋めて殺処分するのが当たり前という時代でした。

そんな時代に、牛だって生き物だし人間の都合でもういらないからと捨てるのはさすがにもったいないと、祖父がお肉として扱い始めました。飼料は、近くのポテト工場から出るじゃがいもの廃棄物をもらって牛が食べるー、今でいう”循環”が行われていました。飼育はしたものの、売るところがなかったので焼肉屋を始めることになったんだそうです。

「あげいも」も、沖縄のサーターアンダギーを見よう見まねで作ったのが始まりで、50年以上の歴史があります。たまたま35年ほど前に、ムロで芽が出ていた芋を、もったいないからと芽を全部取って蒸して「いももち」を作ってみたら、砂糖も入っていないのに芋自体が甘くて、今までのいももちはなんだったんだっていうくらい美味しかったんだとか。それから2年近く寝かせたものを使うようになって、現在は幕別の協賛で温度から湿度まで全部管理してもらっています。小さい頃からいももちが大好きだったので、これだけは絶対に広めたいと店を継いだっていうのもあるんです。

 

ーここでしか食べられないですか?

 

井出今はふるさと納税でも扱っていますが、ほとんど流通もしていないので、お祭りか、本別に来た時にこの店で食べていただく形です。

コロナが流行る前は、毎年3月には東京の代々木公園にも行っていました。たまたまイベントの前日に、マツコデラックスさんが「月曜から夜更かし」という番組で、いももちを食べて絶賛していたんです。放送の翌日だったので「いももちだ!」みたいになりました。

こっちの人も東京の人も、「ジャガイモでこんなモチモチに作れるのか?」ってよく言われるんですけど、揚げたてを食べてもらえれば本当に感動します。いももちにはトウヤという品種を使っていて、でんぷんの割合はだいたい2割ぐらい、いもの状態によって若干増やすこともあります。いも自体で作っているので、鍋に入れてもとろみがつきづらいのと、ずっと煮込んでも形に残るんですよね。みなさんに、「でんぷん臭さがない」「本当にお餅だね」って言ってくださいます。

以前東京でいももちを販売した時に、お客さんに「いつオープンするかわからないですけど、十勝に来た際にはぜひ本別来てください」と伝えたら、この前東京からわざわざ来てくれて、「コロナ禍だから一応PCR検査してきました」、「前話した時にカレー屋をやるって聞いて、調べたらもうオープンしてたので来ました」って。本当に感動しました。

 

ーもっと広めたいですね。

 

井出どんどん広めたいなと思いながらも、製造ライン的には限界です。いもを練るのために祖父の代からの石臼を使っていたのですが、この店を始める時にリフォーム中に壊してしまって。現在は石臼自体をほぼ製造していないらしく、中古のものを使っています。

 

ー作れる量に限りがあって、貴重なものですね。

 

井出量が確保できるわけではないですし、製造できるスピードにも限界があります。ガンガン流通させられるかというと難しいです。今後の展開としては、キッチンカーを導入したのでゴールデンウィークにはカレーといももちを売り歩きたいと思っています。町外に行って、”本別にぜひ来てください”と町に人を呼ぶきっかけも作りたいです。道内全域に行きたいなとは思いつつ遠出は難しい。材料の仕入れなどの問題を解決できる策があれば全国歩きたいなと思ってるぐらいですけど。

 

ーカレー屋につながるルーツとか、なんでこの形態なのかとか、なんとなく始めたのかなって思ってたんですけど、全然なんとなくじゃないですね。

 

井出そうですね。まず本別でやりたいっていうのがあって、もともとうちの商品としてあるものとか、いろんなものがうまく重なって今の形態になっています。

 

ー井出さんにとって本別ってどんな街ですか?

 

井出店を継ぐっていうのもあったんですけど、このままだと人口減少で本別っていう名前自体がなくなってしまうのではないかという危機感もあって、住民になって少しでも本別を盛り上げたいという気持ちもありました。

田舎で住みづらい町というイメージがあるかもしれませんが、いざ住んでみると本別ってすごいですよ。帯広にも釧路にも1時間ぐらいで行けるし、町内に川も流れているような自然豊かな場所です。他の町村に比べて飲食店も多いし、飲み屋さんも飲食店もおいしい料理がたくさんあるし、みなさんすごい親切です。

農業でも、前田さんという最先端農業をやっている方や、食育にも力を入れている生産者さんが多いですよ。自分も町のことをもっと知ってもらったり、食育にも力を入れて活動したいと思っていて、夏場は地元産の牛肉や豚肉、野菜でもカレーを作っています。お祭りも多いですし、子ども達にとっても親にとっても子育てしやすい環境にあると思います。

 

ーこれからの井出さんの展開が楽しみです。ありがとうございます。

地元食材とコラボレーションしたバリエーションに富んだカレー

 

 

井出庵(イデアン):https://www.instagram.com/ide.an/

キッチンカーぽてと倶楽部:https://www.instagram.com/potatoclub2022/

インタビュアー
地域包括ケア研究所 藤井 雅巳

抽象的に捉えられがちな「地域包括ケアシステム」を、実践を通して具現化するシンクタンク「地域包括ケア研究所」の代表理事。2017年より本別町に頻繁に足を運び、町の魅力として、「人」にフォーカスするWebメディア「HOTほんべつ」を企画。

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