チャレンジする

内田勇介さん

結婚を機に東京からほんべつに移住した、公認会計士・内田勇介さんの人生の目的を果たす生き方。

東京で会計士をしていた内田さんは、満員電車に疲れ果て仕事の目標も持てずにいました。結婚をきっかけに奥さんの出身地でもあった十勝・ほんべつ(本別)町へ移住。事業を継承して念願だった自分の会計事務所を持ち、現在は帯広市および札幌市の事務所も承継し、道内3箇所に拠点を持つまでに成長しました。自分らしい生き方として、「家族」と「地域に根ざすこと」を大切にしつづけている内田さんは、子どもたちの未来に思いを馳せています。

内田勇介(うちだゆうすけ)

1979年生まれ、東京都調布市出身。慶應義塾大学卒業後、公認会計士となり、大手監査法人に就職。その後、本別町で会計事務所TAP(ティーエーピー)を開業。現在は、本別・帯広・札幌の3個所に事務所を構える会計事務所へと成長。商工会青年部の活動にも積極的に参加している。

税理士法人TAP(ティーエーピー)http://www.zeirishitap.com/

 

人の応援を受けて実現した移住と転職

 

-どういう経緯でほんべつに移住したのですか?

 

内田さん(以下、内田): 大学を出て監査法人で会計士を4年ほど務めてから、2008年に28歳の時にほんべつ町出身の妻と結婚して、東京から移住しました。

結婚前に何回かほんべつに遊びに来ていて、どこかに移住するとしたら、北海道、十勝がいいというのがあったんでしょうね。妻のおおらかな性格が育まれた場所だし、自然もあって町がきれいだし、周りが山に囲まれていて、夏は緑、秋にかけてだんだん赤くなって、冬は真っ白、そこから春の息吹が感じられるのも大好きです。会う人みなさんいい人だし、地域と関わる上ではそういう人たちと出会えたのは本当に良かったです。

 

-地方に移住したいという願望はもともとあったのですか?

 

内田: そうですね。東京で生まれ育ちましたけど、満員電車も大変だし家を買っても庭も持ちづらいですし。実家はもともとは調布市の京王線の仙川駅が最寄でした。曾爺さんが農家をやっていて持ち家があったんですけど、亡くなった後にその持ち家は処分して、20歳の時に実家ごと八王子に引っ越しました。

暮らしとしては、通勤も通学も大変でした。大学は横浜まで2時間半、会計士になってからも霞ヶ関まで2時半かけて通勤していました。疲弊していく感じがあったし、仕事も面白くなくてその先の目標もありませんでした。そこに住みたいも家を建てたいもなかった。

自分の場合は、上場企業で大きな仕事をする、会社の歯車として動くよりは、自分で物事を決めて自分らしい生き方を選択できることの方が大切だと思っていました。

 

-そんなことを潜在的に考えていたのですね。承継した会計事務所との出会いは、なにがきっかけだったのでしょうか?

 

内田: 承継先の先生とは本当にご縁で、妻のお母さんが何度も足を運んでご縁を育んでくれました。東京でも別の10人ぐらいの事務所に来ないかと誘われていたのですが、ほんべつの承継先の先生と直接お会いして、「こっちだな」という自分自身の心の声に従いました。明らかに自分らしい生き方が選択できると思いました。

 

-「心の声に従う」、そんな選択をできることって、誰でもできることではないですよね。

 

内田: そのおかげもあってほんべつに来ることができました。「移住」って、大きなきかっけも必要だし、それに向けて動いてくれる自分以外の人がいてはじめて実現することなのかもしれないなと思いました。

今は役場の方が東京に行って移住希望者とほんべつとのご縁を作ろうとしていますけど、知らない町で住む所や生活する場を案内してくれる人がいないと、きっかけや手がかりすら全くなくて(移住まで結びつくのは)難しいですよね。

 

-内田さんの場合は、ある程度の会計事務所としての事業の基盤を引き継ぐとはいえ、新しく始める不安はありましたか?

 

内田: 最後まで大丈夫かなって迷いました。人からは北海道は不況だとか、公認会計士はほんべつでは何も出来ないと言われていましたけど、十勝には農業があるので不況ではなかった。地域の産業を応援して地域に根ざして頑張りたいと思いましたし、人が少ない場所だからこそ自分の提供するサービスは唯一無二のものにもしていける、自分が動けば成果も出せるという仮説もありました。

妻は「こんな所に連れて来てごめんね」と言いますけど、30代の最も体が元気で青年期から成熟期にかけて一番伸びていく時に、ここで過ごせて本当に良かったと思います。自分らしい生き方を選択したので、後悔はゼロです。

事務所のみなさんとの研修の一コマ。

事業所が3つになり、たくさんの大切にしたい人が増えました。-よそから来た人が成功すると面白くないとひがまれたり、足をひっぱられたり、そういうのを感じたことはありますか?

 

内田: ひがみはあったとしてもそれをバネにすれば最高ですし、足を引っ張るというのはないですね。地方をどうにかしたいという大儀や志を持っていれば、足を引っ張り合ってる時間も、嫌だなと思う時間もないですね。

 

-移住された別の方が、「移住する側の心がけが大事で受け身でいると何もないけど、自分から何かしようとすると助けてくれる」とお話しされていて、そんな視点を持っていると地域って優しいですよね。入り口も排他的ではないし、すごく手伝ってくれるし、チャレンジしやすい土壌があります。寒さや不便さについてはどうですか?

 

内田: 寒いのは寒いですね、今でも慣れないです。買い物は不便さも感じるけど、ネットでも買いますからね。移動は、一回の距離が違いますよね。帯広まで1時間、往復100キロ以上です。その時間がもったいないと思う人もいるかもしれませんけど、東京でも通勤で片道2時間とかざらにいますから、それと比べれば大した事はありません。

ほんべつの未来、そして経営者としてのこれから

 

– 内田さんは、これから経営者としてどのようなことをお考えでしょうか。

 

内田: これからはもっともっとITを使いたいと思っています。“スノーピークソリューション”のような、常時接続のTV会議など、これまで移動にかかった時間を効率的に使うことが出来る技術はすでにあるので、ほんべつに住みながらできることを実証したいです。

それができれば、ほんべつの様な地理的にハンディキャップがあるところにもっと人が住みやすくなるし、ここでできる仕事も増えるだろうと。そのために何が出来るだろうかが関心ごとでもあり、取り組んでいくテーマです。長い目でみると、創業が活発な場所では経済が活性化されていくので、新しい産業を作りたいなといつも考えています。

 

– 新しい産業が出来る要素って何があるのでしょうね。

 

内田: ヒト、モノ、カネと言えば簡単ですけど、シリコンバレーのようなモデルがベストですよね。なんであんなに不便なところがあそこまでのIT産業の集積地になったのか。十勝でも上士幌で人口が増えているけど、そこにも共通項があるのではと思いますが、本質的に人が魅力を感じる要素を定義する必要がありますよね。

 

面白法人カヤックという鎌倉に本社のある上場企業を知っていますか?地域のことをみんなで考えるような場を作っていて、会社の株も出来るだけ地元の人に買ってもらっています。株主貢献が地元への貢献になるから、お金とモノとアイディアがつながっていく。鎌倉のようなことをほんべつでもできたら面白いのではないかと考えています。

 

内田: チャレンジできる風土が根付き、そこが起点になってどんどん活発化していけば、外からも人が来るし、住んでいる人もやってみようとなると思うんですよね。「無理」だって思う人が今は多くいたとしても、それが「やればできる」に変わっていくことが大事でしょうね。

 

-内田さんがチャレンジをしたり何かを乗り越えようとするメンタリティになったきっかけはなんですか?

 

内田: 20代のころは何も分からなかったし、失敗を恐れていたと思います。40歳になった今は比較的気持ちがラクになって、成功も失敗もたくさん経験して成長するのがいいと思うようになりました。失敗は成功のもとで必ずそれ以上のリターンがあるし、大学受験や会計試験を経験できたことも大きいです。

あとは社会人3・4年目の時に、自分の会社が潰れる経験をしたことも今のメンタリティに影響を与えています。朝のニュースで会社がなくなることを知って、特捜部が入って。その時に”自分自身が主体性を持っていないといけないんだ”と気づきましたね。

 

-そんな内田さんが一番大切にしている事は何でしょうか?

 

内田: 人間関係です。人との付き合いが人生を豊かにしてくれると思っています。自分の人生の最大の目的は、妻と二人の子供たちを幸せにすることで、そのために仕事をしているので頑張ることができます。妻と結婚してここに導かれたし、不妊治療でやっと授かって子どもたちが生まれてくれました。

それに自分が親になってみて親のありがたみも分かりました。人間関係の基礎を作ってくれたし、会計士試験を受けさせてくれて、長男なのに北海道にも行かせてくれて。だからこそ、ここで働いてくださる従業員も大事にしたいと思っています。家族にも人間関係にも感謝しています。

-このインタビューを見る人に伝えたい事はありますか。

 

内田: ほんべつは日本一住みやすい町です。本当にいい人生とは、地方でこそつくられると感じています。地方では、やろうと思えば何でも出来るし、作り出すことができます。自分を見つめなおす時間も容易に作れます。

また、家族のことを考えるなら地方が断然いいですよ。子どもをのびのびと育てることができますし、職場の前を子どもたちが歩いて登校するのを見ることもできます。車で30分行くと温泉もたくさんあるし、僕にとっては本当に天国ですね。

大きな町だと使命感って持ちづらいけど、小さな町だからこそこの町をもっと住みやすくしたい、って考えますよね。子どもたちが将来戻って来たいと思うような仕事があってほしいなと思います。

 

-何でもできると捉えるか、何もないと捉えるかで世界が変わりますよね。内田さんのような方がたくさんいると、この町は本当に変わっていく予感がします。今日は本当にありがとうございます

インタビュアー
地域包括ケア研究所 藤井 雅巳

抽象的に捉えられがちな「地域包括ケアシステム」を、実践を通して具現化するシンクタンク「地域包括ケア研究所」の代表理事。2017年より本別町に頻繁に足を運び、町の魅力として、「人」にフォーカスするWebメディア「HOTほんべつ」を企画。

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