チャレンジする

小笠原徹さん

妻の実家を継いで肉牛農家へ転身した、小笠原牧場・小笠原徹さんがほんべつで肉祭りを開催し続ける理由とは。

異業種から肉牛農家へと転身した小笠原徹さんは、飼料作りから地元にこだわって「おいしい和牛」を育てることに取り組んでいます。地元・本別(ほんべつ)になかなか流通させることができないおいしい和牛を、住民と分かち合いたいと思って始めた「肉祭り」を通して、町内外からもたくさんの人が来てくださるようになりました。

小笠原 徹(おがさわら とおる)

1978年生まれ、釧路出身。専門学校卒業後、JR北海道で働いたのち、ほんべつの妻の実家の家業であった酪農を継ぐためにほんべつへ移住。地元のものを地元に味わってもらいたいと考え、子牛から肉牛までを一貫して生産。

小笠原牧場代表、本別町農業委員会・農業組合役員など公職も歴任。 

 

義理の父に「農業を甘く見るな」と言われて

 

-どんな経緯でほんべつにやってきたのですか?

小笠原さん(以下、小笠原): 出身は釧路で、JR北海道で7年駅員、添乗員やツアープランナーをしていました。妻の実家がほんべつで酪農をしていて、それを継ぐために13年前に移住。それまで牛を間近で見たこともなかったし、妻の父からも「そんなに農業は甘くない」と言われ、自分が酪農をやる自信もなかったけど、このままやめてしまうのはもったいないと思っていました。

来た時は10頭ほどの牛と古い牛舎とトラクター、牧草が入ってるところくらいで何もなかったのですが、今では110頭の和牛を育てています。

-「甘くない」ってよく聞く台詞ですよね。13年前に奥様のご実家に入られて、どんなご苦労がありましたか?

小笠原: 最初は知り合いがいないことが辛かったです。前田農産の前田さんが農協青年部長の時に、僕を書記長にしてくれて、そこから少しずつ仲間が出来ました。

ほんべつには和牛農家は30数件いるんですけど、飼育してお肉までとなると3件しかいません。子牛生産が8から9ヶ月で出荷できるのに対して、肉までだと3から4年はかかる。お金も時間もかかるので経営のことを考えると子牛の生産の方が楽なんですよね。

あとは、これまで住んだことのある釧路や札幌、岩見沢は大きな街だったので、色々と違いますよね。十勝という地域、小さな町というのをよく分かっていなかった。今はほんべつの町の周辺の農家がみなさん離農していて、急速に少なくなっています。

-みなさん十勝愛がすごいし、少し閉鎖的だと感じるところもありますよね。でもいざ入ってみると、こんなにしてくれるのっていうぐらい色々してくださるというのは伺います。肉作りをするにあたっては何を大切にされていますか?

小笠原: 出来るだけほんべつ産のもので育てることにこだわっています。「A5」などと呼ばれるものは、味ではなく見た目のランクなので、あまり気にしていません。

今はイベントでの販売や知りあいのリピーターにこっそりと売っていて、一般にはほとんど販売していません。町にもお肉屋さんはあるけど、どうしても他のお肉の単価と比べると単価も原価も高くなる。それでも来年からは通年で販売出来るように準備しています。

 

 

人と人、町と町をつなげるイベントを民間で企画

 

 

本別肉祭りの様子

 

 

-肉祭りは小笠原さんが取り仕切ってると伺ったんですが、何人ぐらい参加されるんですか?

小笠原: 今年で7回目でしたが、言いだしっぺということもあって続けています。商工会や農協青年部が主体だとやりやすいんですけど一民間の主催だと難しいこともあります。

肉牛も野菜と一緒で、食べるまでが農業だと思っていて、自分だけで食べるのではなく、地域の人とも分かち合いたいという思いでこのイベントを始めました。

傍からはなんであいつの金儲けを手伝うんだって声も聞こえるんですけど、毎年赤字で全然儲かっていないです、笑。協賛もあえて集めません。出店者や協力者には先にお金がない事を正直に伝えています。そうすると、イベントの趣旨を理解し応援する人が来てくださるんですよね。

1年目は1000人目標で1041人、2年目は1500人、3年目は2000人ぐらいの方が来てくださいました。それで調子に乗ったら台風が直撃した年もあって、笑。ギリギリでも開催できるように調整して、直撃した時は中止するつもりでいたのですが、みなさん「こういうときだからなおさら行くよ」って来てくださって。そのときはありがたくて泣いてしまいましたね。

2019年は脇田唯さん(※北海道を拠点に活動をしている、地域密着型タレント)に司会をお願いしたのですが、「ほんべつのことを応援するよ」って、バンドメンバーも連れて来てくださいました。

 

-肉祭りが本当は全然儲かってないなんて。それでも続けることに小笠原さんの思いがあるんだろうなと感じます。

 

小笠原: 札幌や千歳からも毎年来ていただいたり、老人ホームのおじいちゃんやおばあちゃんも楽しみにされていて、やめるにやめられないというのもあります、笑。10回開催することを目標にしています。

僕は町内でお金が回ることも大切ですが、よそからも来てもらって「ほんべついいね、また来たいね」って言ってもらいたいと思っています。それと農業が楽しそうだなとも感じてもらい、私もやってみたいなって思えたらいいですね。

-お仕事以外は何をされていますか?趣味とか。

小笠原: 趣味は仕事ですかね、笑。自分の趣味ってなんだろうって最近考えることがありますけど、ほとんど牛と一緒にいるし、今は十勝の農業共済組合の役員や妻が農協の理事にもなったから毎日が忙しいです。

-ほんべつを一言で言うとどんな町ですか?

小笠原: 難しいな、笑。夏は祭りを毎週のようにやってるよね。うちでも色々な祭りに出展していますが、食育も兼ねて牛1頭を一つも余さないで使うようにしています。肉祭りでは焼肉を、焼肉に使えない部位は煮込みのビーフシチューやもつ鍋でだしています。

ほんべつはいい所なんだよね。だからもっとたくさんの人に来て欲しいです。夏はキャンプ場に大勢来ますけど、日曜は飲食店も商店街もほとんどがお休みですし、ほんべつの街を知らないで帰る人は多いと思います。

-道の駅だけではなく、本当のほんべつの良さを味わうためにもぜひ街中で飲んでもらいたいですよね。

小笠原: 街をみていて思うのは、飲食店や組織の中で引き継ぐ後継者がうまく作れないとか、人を上手に育てることができていないように感じます。

-本当の意味で、「この町はどうありたいのか?」ということを、自分ゴトとして捉えて、小笠原さんのように行動できる人がもっと増えると、ますますほんべつは魅力的な町になりますね、。本日はありがとうございました。

 

小笠原さんが声をかけると牛たちがやってきた

 

インタビュアー
地域包括ケア研究所 藤井 雅巳

抽象的に捉えられがちな「地域包括ケアシステム」を、実践を通して具現化するシンクタンク「地域包括ケア研究所」の代表理事。2017年より本別町に頻繁に足を運び、町の魅力として、「人」にフォーカスするWebメディア「HOTほんべつ」を企画。

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