チャレンジする

KOYA.lab 岡崎慶太さん

ほんべつで1日1組限定のタイニーハウス“KOYA.lab”を創業した、岡崎慶太さんの現在進行形の挑戦のストーリー。

ほんべつ(本別)町の身近な絶景に泊まろうというコンセプトではじめた『KOYA.lab』(コヤ・ラボ)は、1日1組限定でゆったりと過せるとっておきの場所。地域の仲間と一緒におもてなし、地域へ還元していくモデルを考えた創業者の岡崎慶太さんは、地元建設会社の4代目。会社や町の未来を見すえてKOYA.labを創業するに至った思いを語っていただきました。

 

 

岡崎 慶太(おかざき けいた)

1974年、本別町生まれ。北海道江別市で13年間サラリーマンを経験後、2009年、34歳で本別町にUターン。家業である建設会社株式会社岡崎組では常務を務めながら、2017年にタイニーハウス「KOYA.lab」のレンタル事業を起業。

 

手ぶらで十勝の絶景を独り占めできる『KOYA.lab』

-ここを利用される方は、どいう方が多いですか?

岡崎さん(以下、岡崎): 道外と道内の方が半々で、年代は30後半から50半ばです。だいたい家族と仲間内ですが、家族で来られる方が多いですね。

-手ぶらで来て、完全に泊まれる状態になってるんですよね?

岡崎: そうです。1日1組なのでどんな対応でもすることができます。料理も、旬のものをいい時に、と飲食店を経営している仲間が、BBQを遥かに超えるレベルで協力してくれています。ペットも一緒に来ることができるし、鹿とか狐も普通に来ますよ(笑) 

冬場は、1~2月はさすが寒いだろうからとクローズしているんですけど、3月から12月までは営業しています。GWのころに桜が咲いて、秋には紅葉がみられます。

以前、都会からお子さん2人を含む家族4人が来られた時に、一応トランプとかオセロを準備したのですが、まったく手が付けられていませんでした。そこらへんの木や草をポキっと折って字を書いたり、アリがいるのを見つけて遊んだようです。これで良いんだ、変に取り繕う必要がないんだなって感じました。

都会から来た方に、この辺に来たことがなかったね、こんな所があったんだね、と言ってもらえるのは嬉しいです。これからは1つの町だけでなく、近隣とも一緒にやって地域全体がそれなりになればいいですよね。

 

本業を通じた問題意識からKOYA.labを創業

-岡崎さんがKOYA.labを創業するに至った理由を教えてください。

岡崎: 1つは、建設会社をしているのですが、今後の雇用を考えた時に、今すでにある経営資源としての「人」や「トラックや重機」をゆくゆくは何かに生かせないだろうかと考えたことがきっかけです。

例えば、ここはずっと原生林だったのですが、砂利を敷くのも、草を刈るのも、自社のメンバーで作業しました。土木や河川を本業一本でやってきて、景気が悪くなったら従業員を簡単に解雇するのではなく、KOYA.lab自体がもっと広まれば従業員が活躍することもできるのではないかと考えました。

会社のメンバーだけでなく、地域の専門的なノウハウをもっている人たちとのつながりも大切にしたいとつくづく感じています。

 

-すごくわかります。僕も東京で小さな病院を経営しているのですが、病院と地域がどうつながるかのコンセプトは描けても、形にするには必ず専門家の手が必要になる。同じ想いを持つ仲間の存在やリソースをとても大切だと感じています。

岡崎: 本当にそのために必要なのは、人付き合いとか仲間だったりしますよね。もしも僕がKOYA.labの料理も飲み物も全部提供するとしたら、許認可もそれぞれ取らなければならない。

源すしの池田さんもTotteの尾崎さんも、利益は本当にわずかだと思うけど、KOYA.labに特別なメニューを納品することに協力してくれています。苦しくてもこれを継続していけば、今度はお互いの仕事になるだろうという目線で、スタートアップの時期に協力してくれる人や仲間は本当にありがたいです。

 

KOYA.labをはじめたもう1つの理由は、商工会の青年部長の時に「豆まかナイト」というイベントをはじめたのですが、どうしたら一過性のイベントではなく恒常的にこの地域に来てもらえるようになるかを考えたことがあります。その時の問題意識などがきっかけです。

みんな、ほんべつの“ほ”の字も知らないから、まずはイベントで町の名前を知ってもらうことも必要です。陸別には「しばれフェスティバル」があるし、池田町には「ワイン祭り」がある。ほんべつには「豆」があると考えたときに、必然と「豆まき」をすることになりました。

ただ、どうせやるなら商工会だけとか、青年部だけとか、一部の人だけで盛り上がるのではなく、農協の青年部とか役場の若い方とかいろんなところと協力したいと思っていました。次につなげるためにも、そういう仕組みを作りたいと考えていました。

-商工会だけではなく、農協の方とか、様々な分野が超えてというのは、どこでも実現している話ではないですよね。

岡崎: そうですね。色々な利害のある分野の方と協力していくことは簡単ではないです。そして、1年2年やっただけで、ポンと結果を出すのも難しいです。「豆まかナイト」もよその町のイベントに少し近づいてきたと感じていますが、これが大きくなって、知名度を得て、もっと地域の様々な分野の方々と一緒に創っていければいいなと思います。

KOYA.labもいかに継続できるかが課題で、さまざまなな取り組みをしています。町のふるさと納税の返礼品にも載せていただいています。

-そういえば、JALのマイル特典になるのですよね?凄いですよね!

岡崎: 実際にマイルを使ってこれを利用する人はそんなにいないかもしれませんが、あのサイトを見る人の数が違うのと、JALのサイトに載っていると”箔”がつきますよね。

KOYA.lab自体が売れて、毎日お客さんが来るようになると、地域にお金がまわるようになります。料理だけでなく、クリーニング、ガス、汲み取りなど、全部を地域の青年部の仲間にお願いしようと思っています。

「豆まかナイト」を通じて出会ったある農家の仲間は、KOYA.labを畑の横に置くロケーションを提供してくれたり、外国人労働者の方や農業インターシップの受け入れの際に使ってくれたりもしています。

絶景を独り占め(写真提供HP)

 

人口減少の地域だからこそ、”人同士の濃いつながり”がある

 

-こういう取り組みで地域の方がつながるのはいいですよね。外の人とのつながりが出来て、少しずつ地域が変わっていきますね。ところで、岡崎さんの趣味ってなんですか?

岡崎: それが趣味が無いんですよ(笑)。仕事の入らない土日は7歳と2歳の子供と遊んでいます。平日は建設業の仕事とKOYA.labのやりとりをしていて、金土日はお客さんを受け入れてるので、ほとんど家にいる事がないんです。朝も5〜6時には家を出て、帰りも7~8時になるので。

-お子さんにはどうなってもらいたいとかはあるのですか?

岡崎: 上が娘、下が2歳の息子ですが、自然と自分のやっている事をやりたいと言ってくれれば、ありがたいなって感じですね。こんなに忙しいならやりたくないってなるかもしれないけど、自分の背中を見て、僕も私もやってみたいとなるかもしれない。そうやって自然に継ぎたいと思ってもらうのが一番ですよね。

-本当の意味で魅力的な働き方をしていたらそうなりますよね。岡崎さんは町から外に出たいと思われた事はないですか?

岡崎: 高校は札幌、大学は福井県に行きました。卒業後は札幌の隣の江別市で13年間働いて、36歳で帰って来ました。帰って10年ぐらいになりますが、人生の約半分はほんべつにいないんです。戻って来ようと思ったのは、やっぱり家業があったから。兄が八王子で歯医者をやっていて家業を継がないことが確定すると、自分が自然にやるんだろうなって感じでした。

 

-岡崎さんだったら「ほんべつとはこんな町」というのを、どう表現されますか?

岡崎: 人口が減ってきて、人同士のつながりが段々濃くなってきていると感じます。何もしなければ、全国の1740の自治体のうちの1つでしかないところを、本当にみんなで良くしていこうというのが高まってきてる町じゃないかなって。

この会社を創業する時にも町の起業家支援(補助)の300万円を受けさせてもらいました。他の町村と比べてもしっかりとした支援があると思います。人口が減るという危機感は当然あるし、止められないですけどね。

KOYA.labも全週末が埋まるぐらいになったら、一人常勤を雇って全日やりたいんですけど、現状としてはなかなか難しい。今は自分と帯広に住んでる設計を担当した相方と二人でやっていて、一生懸命設営したり、皿洗ったり、布団敷いたりしています。

今は苦しいですけど、ここを乗り越えて継続したいですよね。付き合いもあるし協力してくれる人がいるので、皆で盛り上げていければどうにかなると信じてやっています。

-本日はありがとうございました。是非今度利用させていただきますね。

 

インタビュアー
地域包括ケア研究所 藤井 雅巳

抽象的に捉えられがちな「地域包括ケアシステム」を、実践を通して具現化するシンクタンク「地域包括ケア研究所」の代表理事。2017年より本別町に頻繁に足を運び、町の魅力として、「人」にフォーカスするWebメディア「HOTほんべつ」を企画。

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