プライベートとともに生きる

好きな事を仕事にして10年経ったら実家の農家を継ぐと決めていた。地元本別へ戻ってきて仲間と共に自分の暮らしを大切にしてきた若林さんの物語

ほんべつ(本別)町で就農して8年目を迎える若林さんは、常に自分で決断し自分らしい選択をしてきた。まず20代は自分が好きなスポーツインストラクターの仕事をして、初めから決めていた10年という節目で家業である農家へと転身した。農家として常に学びながら、食育や地域とのつながり、家族との時間や趣味の釣りまで、自分らしい生き方を選択してきています。

若林 健一(わかばやし けんいち)

1984年生まれ、本別町出身。本別高校卒業後、民間のスポーツクラブでインストラクターや音更の総合体育館で一年間館長を経験。目安としていた30歳を前に地元へ戻り農家になる。地域住民の食育やスポーツ推進員としての健康作りにも積極的に関わっている。

 

30まではめいっぱい好きなことをやろう

ー本別高校を卒業後どのような経緯で農家になったのですか?

若林さん(以下、若林): 僕はずっと野球と硬式テニスをやってたんですけど、中高とすごい怪我が多くて、現役生活はほとんど怪我をしていたっていうような感じだったんです。当時はまだスポーツトレーナーっていう職業が非常に少なくて、憧れはあったんですが、実際に職にすることができないので、スポーツクラブ「ジョイフィット」に入社したんです。スポーツインストラクターとしてスタジオでエアロビクスをやったり、お客様のトレーニングメニューを作ったりっていう仕事を10年やってきました。

その中で、自分の実家が農家ということで初めから20歳から30歳までは好きな仕事をして、30歳になって実家を継ごうと思って、とりあえず好きな道を10年間やったという感じですね。

(写真)JOYFiT時代の若林さん

 

ー10年、好きな仕事に集中して取り組まれていたのですね。よければ仕事の内容や本別に戻ってきたときのことを教えてください。

若林:スポーツクラブにいた時には同じ店舗にずっといるわけじゃなく、新しい店舗のインストラクターを育てたり、海外のクラブの出店オープンを手伝ったりしながら働いていました。最後の年は十勝に戻って、音更の総合体育館で一年間、館長やらせてもらいました。休みの日は本別に帰ってきて、父の仕事を手伝いながら農業に関わりはじめ、29歳の年にここに戻ってきて今年で8年目になりますね。

スポーツの道で10年仕事をしていたので、本別でもスポーツを通じて恩返ししたいなと思い、スポーツ推進員に推薦してもらい、本別の子供たちや高齢者の方に僕の学んできたことを少しずつスポーツという形でも返せたらいいかなと思っています。

―好きな事を10年やりきって、それから実家を継ぐというのはかなり決断力が必要だったのではありませんか?

若林:そうですね。最初から、自分が30歳のタイミングで父がちょうど60歳になるのでちょうどいいきっかけですね。そのタイミングだけ決めていたので、30歳まではめいいっぱい好きなことをやろうって決めていたんです。好きな仕事だったので、辞める時に「まだ続けたい」とか後悔とかあるのかなぁと思ってはいたんですけれども、意外ともう10年間もやらせてもらったので、すんなりとでした。

 

まずは、地域の仲間や家族の農業を見て学ぶ

 

若林:ここの負箙(おふいびら)っていうすごい小さな地域部落になるんですけれども、僕がUターンで帰ってきた時に、Uターンの子が同時にあと2人同じタイミングで本別で就農して。さらに、こんな小さい地域なのにあと2人が本別出身の奥さんのところにお婿さんとして就農したんですよ。この同じタイミングでまさかこの5人も帰ってくるっていう(笑)

―同時期の就農者が同じ地域に5人は多いですね!

若林:ですよね。それでUターンで戻ってきた方や、本別のことを全く知らないお婿さんで来た方なんかも含めて、まあ5人集まっては、これからこうこうしたいとかよく意見交換したりして。

僕も帰ってきてすぐは、父のやることを見て今までやってきた農場のスタイルをしっかりと5年間学ぼうと決めました。その上で6年目からは、自分のスタイルに徐々に変えていき始めました。現状どんどん農家戸数が減っていくなかで、1戸あたりの規模もどんどん拡大していく傾向にあるのですが、僕は現状のこの面積をキープしながら、1つ1つの作物に付加価値をつけていって、自信のあるものを作っていけたらいいかなと思って。まだまだ勉強中ってとこですね。

ーまだまだ学ぶことはたくさんあるなって感じなんですか?

若林:そうですね。やっぱり周りの地域の先輩方たちと話をして学ぶことが沢山ありますし、帰ってきてすぐ農協青年部に入りましたが、自分と同じ世代の人たちは僕よりももっともっと農家として先輩なので、その人たちと話をするっていうのはすごい刺激や経験値にもなるので。

どうしても家族経営で視野がどんどん狭くなってきてしまうのが現状ですけれども、農協青年部だったり、周りの先輩たちと話しすると、視野がどんどん広がっていくので。こういった経営スタイルもあるんだとか、こういった農業のスタイルもあるんだっていう。最先端にも触れるし、昔ながらの伝統の農業方法も聞けるので、じゃあ自分にあったのはどれなのかなっていうのを今探している感じですかね。

ー今までのやり方を学んだ5年間の中で、これは大事だから続けようみたいなことと、これは変えていこうみたいなことってありますか?

若林:まず変えちゃいけないことっていうのは、やっぱり「土作り」なんですよね。自分の父の時からとにかく「持続可能であること」を考えると、この土作りをしていく中で、堆肥と緑肥が大切。畑を肥えさせるこの2つは、これからも時間をかけながらも継続していかなきゃいけない。で、変えなきゃいけないことは、作業の省力化ですね。機械が小さくて一時間あたりにこなせる面積っていうのが少なかったので、1人でもしっかりとこなせるような機械の導入ですね。これはもちろん投資が必要ですけれども、変えていかなきゃいけないところですね。

自分が将来1人で農業をしていくって時に、なるべく作業幅が大きく、作業速度が速いものを選んで、今のこの面積だったら自分一人でも出来るかなっていう規格のものを5年間で徐々に探してきましたね。その他、人ではなかなかクリアできないことは、機械に頼りながらできればいいかなって模索しています。

(写真)ビートの収穫をする若林さん

 

ーなるほど。実際戻ってこられて8年間で農地の面積は広げられたのですか。

若林:そうですね。僕、帰ってきて10町(10ヘクタール)ぐらい増えて、約50ヘクタールですね。本別の平均が大体45ヘクタールぐらいなので、大体平均ぐらいになりますね。

ー改めて作っていらっしゃる作物を伺ってもいいですか?

若林:畑作4品で輪作を回すんですけども、小麦、芋、豆、そして甜菜ビートの4つが、十勝の輪作タイプなんですけど、それプラス牛の飼料作物のデントコーンだったり缶詰になるスイートコーンのこの5品で、輪作を回しているような形ですね。

ーその5品と言うのは時期が違うから回していきやすいということなんですか?

若林:そうですね。根ものとそうではないもののバランスを見て輪作をしていますが、秋の長雨や春の旱魃を考慮して臨機応変に対応しています。病害虫に強く、なるべく連作をしないような輪作体系は、まだまだ勉強中なんです。

 

地域を知り、農業を知る

 

若林:十勝の農業スタイルのこの4品も、豆の金額が雑穀相場によって動いてしまったりだとか。小麦もそうですが、国から守られている作物の小麦や大豆なども、いつまで長く今のまま作り続けれるかわからないので、新しい新規作物ができないかなというのも模索しながら色々試してみたんですよね。薬草に取り組んでみたり、今も継続していますが面積を広げれないニンニクであったり。機械での収穫が可能な新しい新規作物っていうのはチャレンジしてみたいなというのはありますね。本別って新しいものに取り組むスピードはすごい早いと思うので、後は継続する力だと思うんです。

ー戻って来られて、1番苦労されたことって、どんなことがありますか?

若林:農業なので、もうとにかく天気ですね。長く雨が続いた時は、もちろん畑には入れないですし、作物も育たないので。繁忙時期に長雨が続くっていうのは、気持ち的には苦労します。あとは、こっちに帰ってきた時は、もうとにかく草取りが大変で。この畑の終わりがわからないような草取りはきつかったです。

(写真)自宅前の農場にて

 

若林:例えば、今植えているのは、秋蒔き小麦の「きたほなみ」ですが、草取りは手前から終わりが見えない畑まで1本1本、全部草取りをするんですよ。一日何キロあるんだろうと(笑)。最初帰ってきたときに、母と妹がこの草取りをしている風景を見て、自分も一緒に草取りをして「なんて大変な作業なんだ!」って。でも雑草があるっていうことは、豆だったり、ビートだったり、その雑草に養分吸われていることですし、雑草がぶわーっと繁茂しちゃうと、収穫の時に困るので、やっぱ雑草対策は大切です。

除草剤も、どんどん良くなってきていますが、いいものでもやっぱり適期のタイミングで散布しなきゃいけない。タイミングとあとは農薬の濃度だったり、水の水量だったり、それぞれ1軒1軒全部みんなバラバラなんです。これらも、やっぱり自分だけで考えるよりは、周りの人たちの知恵を借りて、学びながら改善していく方がいい。もう最近は、畑の中に入って1本1本の畝を見ながら草取りするっていう作業も、ほとんどしなくなったので。だいたい機械で除草剤を散布するタイミングを決めて、あとは畑に入って軽く草を見るぐらいで終わるようになったので。草畑になっちゃうと家族に迷惑かけるわけですから。

 

趣味や家族との時間は大事な時間

 

ーお仕事以外の部分や、最近特に時間を使ってるものとかありますか?

若林:本別には釣り好きな人たくさんいるのですが、僕の父も釣りが好きで。父は海釣りが好きなので、小さい頃から海に連れてってもらって釣りをするっていうのが日常で。今は自分で釣りの道具を作ったり、川でルアーフィッシングやフライフィッシングをしたり。

(写真)本別の釣り仲間と

 

実は、川でフライフィッシングをすることって、農業とすごい繋がりがあると思ってて。川でのフライフィッシングは、森羅万象の移り変わりをとらえることにもつながる。川に入るときにクモの巣を見つけたり、今どういう虫がいるかっていうことが、農場の畑の中で起こっている、例えば虫が大量発生するだとかに関係してくる。そして、川の水温が下がっているということは作物にも影響して、作物の生育が弱く、遅くなるとか。

自分の趣味と自分の仕事がこう繋がっているような感じがして。子供たちがもう少し大きくなったら一緒に川釣りしたりとか、一緒に海釣りをできたらいいかなぁと思っています。一年中釣りのことを考えている感じで、体が疲れているときにトラクターに長時間乗っていると、もう海の波の音が聞こえているんです。で、「海が呼んでるな」って感じがして。

ー釣りはどのぐらいの頻度で行かれるんですか?

若林:釣りは目の前に美里別川っていう川があって、家から車で10分もしたら着いちゃうので、行ける時にはほぼ毎日、朝は釣りをしてますね。日の出とともに、夏は4時前ぐらいから川を歩いて、6時や7時ぐらいから仕事をするっていう感じなので。僕は朝型の人間で、朝仕事する方が好きなので、川を見てリフレッシュして、今日も一日頑張ろうと思って、そこから仕事をスタートします。

ー結構ハードですよね。それでも釣りのことはいつも頭にあるのですね。

若林:今年も、ちょうど収穫繁忙時期の9月に、父もアキアジ釣り大好きなので、どこかの畑1枚収穫が終わったら、母と嫁さんに「一日だけお休みください」ってお願いして。父親と2人で車の中に荷物パンパンに詰め込んでオホーツクまで3時間走って。アキアジ釣れたらやっぱり子供達喜びますからね。こんな大きい魚釣ってきたら、子供達にも自慢できるしね。

(写真)自宅前でトラクターとともに

 

今年は一日でアキアジ30本釣れた時もあったんですよ。周りの農家の方に配ったりだとか。秋の収穫繁忙時期であることは、分かってはいるんですけれども、父と2人で3時間かけてオホーツクに行ってまた帰ってくるその車の中で、結構これからの農業の濃い話できるんですよ。2人でゆっくり話す時間は、あんまりないので。こういう機械が欲しいんだとか、収穫の時期について話したりとか。それから、オホーツクまでだと、足寄、陸別、津別、美幌、小清水を通っていきますので、そこの農家の人たちが玉ねぎの収穫してるとかビートの収穫してるとかって、作況調査を兼ねてですね。

 

子どもたちに農業を知ってもらい、伝えたい

 

ー食育とか教育のことも結構やってらっしゃるし、「豆まかナイト」などの町のイベントとかにも関わっていると思うのですが、その辺りはどういう思いからなのでしょうか?

若林:本別に帰ってきて、農協青年部に入って部長をやらせていただいた、たった一年間だったんですが、凄い内容の濃い期間で、その時に「食育ってなんで必要なんだろう?」って考えたんです。例えば、都会の子供達などが周りに農家の人ってどのくらいいるの?って考えてみると、父母はもちろん親戚にも農業経験者の方が居ないって方がほとんどだと思うんです。そうすると、今食べている物がどう育って、どう口の中まで届くのか、みたいなことを、都会の子たちにも伝えたいって思ったんですよね。

僕は、食育ももちろん大事なのですが、農村ホームステイだったり民泊っていうのがすごい重要だと思っていて。都会の子供達をこの十勝に連れてきて、「本別の農業ってこういうことやってるんだよ」っていうのを子供たちに伝えたい。そして、それを経験した子ども達が、農業を知らない親を教育してくれるような形ができたらいいなと思っていて。だから、農村ホームステイにはこれから積極的に参加して、学校の先生や教員を目指す大学生の方など都会の中高生にこの農場をみてもらいたいな、っていうのもありますね。

本別の子供達にも、3つの小学校全てで食育活動をしているので、農協青年部が学校の敷地内に畑を作って、そこで子供達と一緒に種まきから収穫まで一緒にサポートをしています。子供たちが収穫したもので、料理を作って青年部に振舞ってくれるっていうスタイルは、もう10年以上続けているのですが、これは継続して子供達にこの本別の農業のかたちを見せて、外で仕事をした時にも、本別にはこういった農家の人たちがいるんだよっていうのを伝えてもらうことができたらいいかなと思っていて。

(写真)豆まかナイトの時に

 

ー僕は農業に携わっている方と出会う機会って、これまでそんなになかったんですけど本別の皆さんにお会いすると、すごい魅力的だなって思います。

若林:本別は新しいことにチャレンジする人が多いので。今の時代って、「仕事、仕事」ってなっちゃいがちなんですけど、僕はやっぱり休みは自分の趣味で使いたいですし、農家なので雨降ったら仕事を休む、雨降ったら子供達と一緒にどこか遊びに行けますし。結構本別って、独身の農業者の人多いんですよ。農家の口説き文句は「農家は半年働くけど、半年休みなんだ」って。もうそれしかないですね。農家の若い子たちは元気もあるし、凄いパワーのある子たちが多いので、本別の農業も捨てたもんじゃなくて、やっぱり十勝を代表する農家の人が揃っているので面白いですよね。

それと、いろんな情報がインターネットの時代でありすぎて、情報を正しく選別していく能力ってこれから重要だなと思っています。僕もこれまで、たくさん青年部時代の仲間から様々な農業スタイルであったり、様々な機械のことだったり、情報をいただいて、たくさんの先輩たちから教えてきてもらったので。これからは、自分が若い農業者の人たちに教えていかなきゃいけないなって思っています。

ーなるほど。貴重なお話をありがとうございました。

 

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(写真)晩秋の農場で最後のビートの収穫をする様子

インタビュアー
地域包括ケア研究所 藤井 雅巳

抽象的に捉えられがちな「地域包括ケアシステム」を、実践を通して具現化するシンクタンク「地域包括ケア研究所」の代表理事。2017年より本別町に頻繁に足を運び、町の魅力として、「人」にフォーカスするWebメディア「HOTほんべつ」を企画。

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