プライベートとともに生きる

浮舟 角 誠さん

辛抱すること20年。浮舟のトンテキが本別のソウルフードと呼ばれるまでの、大将 角 誠さんの奮闘記。

ほんべつ(本別)町のソウルフードともいえる、浮舟の「トンテキ」は、実は20年もの間ほとんど売れなかったといいます。今や、町外はもちろん、海外からもこの味を求めて多くのファンがやってくるようになったのには、大将の角誠(すみ まこと)さんの辛抱強さと守り続けてきた店の味がありました  。

角 誠(すみ まこと)
本別生まれ、本別育ち。本別中学校卒業後、旭川の高校、名古屋の大学へ進学。その後実家の家業を継ぐことになり、本別へUターン。家業の地元で人気の定食屋の味を受け継ぎつつも、今やミシュランガイド「ビブグルマン」にも掲載される人気店へ。名物「トンテキ」を考案した。

 

 

 

全くでなかった「トンテキ」が看板メニューになるまで。

 

-大将は元々ほんべつのご出身ですか?

角さん(以下、角): 生まれも育ちもほんべつです。中学校を卒業して高校は旭川へ、大学は名古屋へ行きました。その間ずっと本別には居なかった。それから、親が家を継がないかという話になり、下働きをしながら調理師学校に1年間行って、22歳から調理の道に入りました。ほんべつに戻ってきたのは、大体、24、5歳ぐらいです。

-高校から大学と何年か外にいて、ここに戻ってくることに抵抗はありませんでしたか?

角: ほんべつは好きな町だからね。

-このお店の味は先代から引き継がれたのですか?

角: もともとは母親が定食屋をやっていて、それがこのお店のルーツですね。その頃からのたまご丼とかのメニューはあって、ラーメンが美味しいという評判でずっとやっていたんだけど、手が回らなくなってやめました。親父も88歳までここにいましたよ。どうせなら100歳までいりゃいいのにって言いながら。(笑)

-大将の時代になってから、あのボリュームのトンテキを出しているんですか?

角: そうです。最初の頃はトンテキはメニューになくて、メニューに書いた後もまったく出なかった。肉のかたまりを半分買ってきても、下手したら1週間も売れずに残っていました。デミグラスソースを作っても、1年に1回でっかい寸胴で作れば良いほうだった。やっぱり辛抱だよ。辛抱して、辛抱して、辞めないでさ。

今だったら1ヶ月持たないもんね。やっぱり食のトレンドだね。うちからは広告を一切だしてないけど、色々なテレビや雑誌でも紹介してもらっています。でも、最初は豚丼から始まったんだよね。

-十勝と言えば豚丼、ですよね。

角: 牛の伝染病が流行ってから豚が重宝されるようになって、昔からやっていた豚丼がきっかけになったんだよ。土建屋さんが接待でお客さんとうちに来て、この厚い肉を”どん”と出したら少しづつ口コミが広がっていきました。

雑誌やテレビでも「ほんべつに来たら浮舟!」と森崎さんや大泉洋さんが宣伝してくれて。そこから一気にお客さんが増えました。

今はインターネット(SNS)をみて外国のお客さんが来る時があります。英語はしゃべれないけど、写真でわかる。みんなが写真つきで宣伝してくれるから、写真撮ってもいいですか?って聞かれても、どうぞ、どうぞって言ってます。

-トンテキをメニューに置くようになってから、どれぐらいで、お客さんが注文するようになったんですか?

角: 20年は辛抱したよね。1つ出たり、2つ出たりね。どんなに少なくてもそれをなくさずに辛抱しました・・・。親父とお袋がやってきたラーメンや丼物の味を落とさないように、必死でやってたよ。それがまず基盤になったんだよね。

-ここの「トンテキ」は定期的に食べたくなるんですよね。実は、お肉の脂身って苦手だったのに、ペロッと食べれるんです。

角: 脂身がふっくらしてるでしょ。脂から先に火をいれていく。お肉ぺらぺらだとダメなんですよね。

-それは家では出来ないですね。「トンテキ」を食べるためにここに来る価値がありますよね。

角: お客さんはそう言ってくれますよ。時間かかるよって言うんだけど、それを食べに来たから待つよって。そのことを知らないお客さんは遅いって怒るし、急いでいるお客さんは帰るけど、これのために来たお客さんは待ってくれますね。

 

 

-あらためて、ほんべつは魅力がすごくあると思っているのですが、ほんべつだから出来る事にチャレンジしている方々が多いと感じています。

角: 確かに。青年部の連中は一生懸命やってるよ。凄いなと思うよ。

-青年部の皆さんがやっているお祭りとか、エネルギーがあって良いですよね。ただのイベントをやってますではなく、どんな人がどんな思いでやってるのかを上手く発信することができれば、魅力を感じる人も増えると思います。

角: 俺らも青年部のころにほんべつの町を盛り上げようとして、「ビア彩」をはじめたんだよね。それが今もずっと続いていて。当時はそれなりに頑張ったよ。

ほんべつの魅力って何なんだろうね。長年住んでいると、その魅力を見いだせないよね。人から見ればあるんだろうけど...。

-大将は、お仕事以外の時間は何をされてるんですか?

角: 仕事以外は、寝てるか釣りをしてるか。昔は北海道中を走っていたけど、今は車に乗るのが面倒になって、近くの川でヤマメとかマスを釣ってます。ふらっと友達と出て行って、帰ってこれるのがいい。

-そんな生活ができるものほんべつならではですよね。

角: 確かにそうだね。身近なところに、ほんべつの魅力があったな(笑) 1時間範囲で回れるしね。釣り場には事欠かないよね。昔は、日曜には必ず行ってたよ。釣れなくても川は気持ちが良いよね。

-あらためて、さっきの“辛抱だ”というのが、すごく重みのある言葉だなと感じています。

角: 何でもそうじゃない。挫折したら終わり。

-やり続けるが大切ですよね。大将が一番大切にされてる事は何ですか?

角: やっぱり店を守るって事かな。それしか無いね。何年守っていけるかね。今、80歳一歩手前だよ。何年守っていけるか。

-ほんべつには浮舟さんがあり続けて欲しいですよね。

角: 頑張りますよ(笑)。

 

店舗正面より。時代と懐かしみを感じる店構え。
インタビュアー
地域包括ケア研究所 藤井 雅巳

抽象的に捉えられがちな「地域包括ケアシステム」を、実践を通して具現化するシンクタンク「地域包括ケア研究所」の代表理事。2017年より本別町に頻繁に足を運び、町の魅力として、「人」にフォーカスするWebメディア「HOTほんべつ」を企画。

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